ガーナに診療所を建てた話・20の記憶 Thanks 20th Anniversary Vol.6
2026.7.03
Thanks 20th Anniversary 20の記憶 Vol.6
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vol.2 20年目の原点回帰。「目の前の一人」を感動させるということ。
ガーナに診療所を建てた話
「承認欲求でしょ」
「お金の、無駄遣いじゃない?」
「ガーナに、診療所を建てた」——
話すと、こんな言葉が返ってきました。
当時、若かった私は、その言葉に、耳を傾けすぎました。
本当に、傾けすぎた。
だから、結構長いあいだこの話を、誰にも、言えずにきました。
20年を振り返るこの節目に、改めて、書いてみようと思います。
なにか、残しておきたかった
昔から、ボランティアとかそういうのが好きでした。
なにか、そういうことをできる自分になりたい。
誰かのために、何かをできる人になりたい。
そんな想いが、心の奥に、ずっとありました。
創業から7周年を迎えた、2012年。
私は、28歳でした。
創業からの7年間が、温かいご縁に恵まれていたことだけは確かで、 その気持ちを、何かの形で残せないか、そう思っていました。
そう考えていたときに出逢ったのが、 アフリカ・ガーナの村に、診療所を建てるという取り組みでした。
今になって思うのですが。
この診療所は、私にとって、ここまで頑張ってきた証のようにも、思えていました。
持っていける貯金を、全部使って。
どこかストイックに、やりたかったのだと思います。
ガーナで、私が見たもの


子どもたちは、私が持っていったお土産を、純粋に喜んでくれました。
村では、盛大な会を開いてくれて。王様まで勢揃いしてくれました。

歓迎に、ヤギをもらいました。
……もらったところで、これ、どうするの?!笑



自分が建てたものが、本当にそこにありました。
世界の、ほんの小さな、限られた場所。
それでも、少しは、誰かの役に立てたのかもしれない。
そう思えて、とても嬉しかったのを覚えています。
純粋な想いと、目の前の現実
でも、そこで見たものは、私の想像とは、違いました。
村の子どもたちのために持っていった、プレゼント。
それを、関わっている現地のメンバーが、 自分のカバンに入れていました。
「次は井戸を掘ってほしい」と、囲まれて懇願されました。
現地の子どもたちは、布のほうが少ないのでは?みたいな服をきているのに、 このプロジェクトに関わる大人たちは、鮮やかで綺麗なお洋服を着ていました。

これが、貧困ビジネスというものか。
言葉だけは、知っていました。
でも、本当のところは、何もわかっていなかった。
純粋な想いで来たはずの自分が、 目の前の現実に、モヤモヤしました。
うまく、言葉にできませんでした。
現地のガイドさんが、言っていました。
ユニセフをはじめ、いろんな支援団体が、いろんなものを建てていく。
でも、建てただけで、終わってしまうことも、少なくないのだと。
私が建てた診療所も、そうなのかもしれない。
貧困ビジネスの、ほんの一部だったのかもしれない。
それでも、やってよかった
日本に、帰ってきてからも、あの言葉たちは、ずっと私に刺さったままでした。
「承認欲求」。
「無駄遣い」。
「意味ないよ」
純粋な想いで、動いたはずなのに。
それが、誰かの目には、違うふうに映る。
ガーナで見た現実と、日本で言われた言葉。
どちらも、私の中で、長いあいだ、消えてくれませんでした。
だから、誰にも言えませんでした。
でも、今の私は、こう思うようになりました。
きれいごとを並べて、何もしないより。
不格好でも、間違っても、動いた自分でいたい。
あの村に、行ってよかった。
あの診療所を、建ててよかった。
今は、はっきりそう言えます。
あの旅には、もうひとつ、忘れられない場所があった


診療所の話には、続きがあります。
同じ旅の途中で、ケープコーストという場所に行きました。
首都アクラから、車で約3時間30分。
ユネスコの世界遺産に登録された、海沿いの城です。

今は、綺麗なお城のように見えます。
青い海を背に、漁師さんたちが、 時間が止まったかのように、漁を続けていました。


でも、ここはかつて、 奴隷を閉じ込めて、出荷していた場所でした。
地下牢に入ると本当に真っ暗で、上のほうにある穴だけが、異様に光っていました。
座ることもできないほど、詰め込まれて。
ここに入れられた人は、二度と戻ってこられなかったそうです。




元々は、木材と金の貿易のために建てられた建物でした。
それが、大西洋をまたぐ奴隷貿易に、使われるようになった。
とんでもない数の人が、ここから「出荷」されていったのです。
人生は、繋がっている
この城で、私は、三角貿易というものの現実を知りました。
ヨーロッパ、アフリカ、そしてカリブ海を結んだ、あの貿易。
でも、当時の私にとっては、まだ、ただの観光名所でした。
ラム酒の店を作るなんて、思ってもいなかったから。
この三角貿易こそが、ラム酒を世界へ広めた、根っこだった。
そのことを、自分のこととして知るのは、すこし後のことでした。
2、3年後、私はラム酒をメインとするお店を展開します。
その店舗は閉店しましたが、そのとき集め始めたラム酒は、
今も Bar Little Happiness のボトル棚に、鎮座しています。
ラム酒の成り立ちを語るたびに、必ず、あの三角貿易に行き着く。
そのとき、ようやく、繋がったのです。
あのガーナで「ついでに」立ち寄った城が、
今の私の仕事の、いちばん深いところに繋がっていた、と。

その城で、もうひとつ思ったこと
かつてこの城を訪れたオバマ元大統領は、こんな言葉を残しています。
「われわれは邪悪さを容認し、それを支持することがあるし、 正しいことだと思って自ら手を染めることさえある」
正しいと信じたことが、正しいとは限らない。
この言葉は、その後の私に、ずっとついてまわりました。
たとえば、経営でも
経営者としても、私には、私の正義がありました。
でも、それが、みんなの正義とは限らない。
それでも、何もしないより、決めて、動くほうを、選んできました。
自分の正しさを、疑いながら。
自分が美しいと思う世界を、この手で表現するためには、 それが、必要だと思ったから。
経営も、あの診療所も、きっと同じでした。
全ては、必然だった
ガーナで突きつけられた、純粋な想いと、現実のギャップ。
奴隷貿易の城で知った、人間の残酷さ。
三角貿易が、世界に広めたラム酒。
自分の正しさを、疑うということ。
バラバラに、私の20年のあちこちに、散らばっています。
それでも、こうして振り返ると。
その一つひとつが、今の私を、たしかに形づくっている。
ガーナの診療所も、経営も。
どちらも、最初に思い描いていたのとは、違う結果になりました。
それでも。
やって、よかった。
今は心から、そう、思います。
全ては「必然」だったのだと。
これが私の、ガーナの記憶。
(経営のことは、別のブログに詳しく書いています。)
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出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。
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📍 Bar Little Happiness
広島市中区流川町5-14-1F
月〜土:19:00〜24:30 / 日:〜24:00
(最終入店・約1時間前)
定休日:ほぼ年中無休
ご予約・お問い合わせは、公式LINEから🥃
🔗 オンラインショップ:https://shop.little-happiness.jp/
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この記事を書いた人
谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社 Little.m 代表取締役 / オーナーバーテンダー
広島県広島市で20年続くRum&Whisky専門店「Bar Little Happiness(リトルハピネス)」店主。2006年の創業以来、ウイスキーとラムの感動を伝える専門家として活動しています。
世界中の蒸溜所を自ら訪問し、造り手と直接対話した一次情報を持つ、現場主義のバーテンダー。バックバーには1,000本を超える希少なレア銘柄から、地元広島の「桜尾」まで幅広く取り揃えています。
Definitely very recommended, I hope to be able to come back here in a future Japan trip! Thank you so much, cheers from Italy!