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【中編】組織化を、手放した

2025.5.08
An overcast sky over Islay, for an essay on choosing not to grow a business

この記事の要点

  • 「バーテンダーが物心両面で幸せになれる業界をつくる」を掲げ、17年間、スタッフとともに組織として店を営んできた。
  • 目指したのは「搾取されない構造」。けれど条件を整えるほど、志を共にする仲間より一時的に働く人が集まり、自分自身がすり減っていった。
  • 「続けること」が「耐え続けること」になっていた。だから、組織化を手放した。理想を捨てたのではなく、「形を変えて守る」ための選択だった。

―― 理想を抱き、背負い、そして手放すまで ――

広島・流川町でウイスキーとラム酒の専門バー「Bar Little Happiness(リトルハピネス)」を経営しています。

2006年、22歳で創業しました。

若い頃、私は本気で「業界の構造を変えたい」と思っていました。
理念に共鳴してくれる仲間とともに、新しい働き方をつくろうと走り続けた日々。
けれど時間を重ねるうちに、どこかで少しずつ、すり減っていくものがありました。
中編では、組織というかたちに託した願いと、それを静かに手放すまでの過程を綴りました。

かつて私は、「バーテンダーを愛し、志を持つ人が、物心両面で幸せになれる業界を創る」──そんな理想を胸に、会社を運営していました。

従業員と共に、業界の評価と安定を築くことが自分の使命であり、生まれてきた意味さえ、そこに見出していました。


できる限りの環境を整え、頑張る気持ちに報いたいと願っていたけれど、それを整え提供することは、簡単なことではなく、最大限背伸びをしながら、不足を懸命に埋め続ける日々でした。

私が目指していたのは、「搾取されない構造」。
若さや無知に依存した業界の在り方に、強い違和感がありました。

サービス業は「誰にでもできる仕事」として設計されており、スキルや志を前提にすると、採用も教育も成り立たない。


だからこそ「誰でもできる」ように整えることで、雇用とビジネスが成立する。
それが、このサービス業の土台でした。

もちろん、それを超えて志を貫いている人も多く、ひとりで素晴らしい仕事をしている方も知っています。
けれど、それは「そうできる人がいた」という話であって、「多くの人がそうできるように設計された仕組み」ではありませんでした。

現実の多くは、人を雇うという前提を「誰でもできる」に寄せることで、ようやく成り立つ構造になっていました。

働く側も、「感謝」という安心感の中で、構造の本質を知らぬまま組み込まれていく。


ある意味で、双方にとって“WinWin”に見えるその関係は、「ありがとう」によって、未来を切り拓く力を静かに奪っていく。

本来もっと誇りを持っていい仕事が、「誰でもできる」という前提のもとに矮小化され、
ビジネスとして成立させるためには、給与も希望も削られていく。

私はその不健全さから目を逸らしたくありませんでした。
受け入れれば、かつて自分が嫌悪した側と、同じことをすることになるからです。

けれど、それを変えるには、「一緒に利益を創り出すことの出来る誰か」の存在が不可欠でした。
私ひとりでは、構造は変えられませんでした。

「出会えればできる」「育てれば何とかなる」──かつてはそう信じていました。
実際、共に歩んでくれようとした人もいました。

けれど時間を重ねる中で、それを「前提」にしている時点で、構造はあまりに脆いことに気づきました。
結局それは、ごく限られた条件が偶然そろうことに期待するしかない仕組みでした。

構造を変えない限り、誰も救えない。

そう痛感したのは、何より自分自身がすり減っていたからだと思います。


「同じ温度で、同じ方向を向ける人が、ひとりでもいたなら」と願わなかったわけではありません。

ずっと渇望していました。

けれど、雇用条件を整え、安心して働ける環境を築こうとすればするほど、


「共に挑む仲間」ではなく、「とりあえず働いてみる人」が集まるようになっていきました。


まるで“少し立ち止まる場所”のように受け取られ、
自分の人生の“次”に向かうまでの一時的な選択肢として選ばれてしまう。

もちろん、誰も悪気があるわけではありません。
けれどそこには、「ここで何かを成し遂げたい」という意志よりも、
“整った場所を上手に活用する”という温度感が漂っていました。

私が望んでいたのは、“一時滞在”であったとしても、
同じ目的地を目指して、ともに汗をかく関係性でした。

だからこそ、その“出会い”を前提に仕組みを築くこと自体、
すでに危うさを孕んでいたのだと、あとになって気づきました。

理想を追いながら、自らの心身を削り続ける構造と関係性──私はその限界を、静かに感じ始めていました。

これは誰かひとりの責任ではないです。
皆それぞれに誠実だったし、私も誰かを責めたかったわけではありませんでした。


気づけば、それは17年という長い時間をかけて、何度も挑み、形を変えながら続けてきた取り組みでした。

このままでは、「続けること」が「耐え続けること」になってしまう。

だから私は、やり方を少し変えるのではなく、自分に問い直しました。

──なぜこの仕事をしているのか。
──何を実現したくて、誰と向き合いたかったのか。

組織化という夢を手放すのは、正直、怖かった。


けれど、これまで丁寧に積み重ねてきたものを一度手放してでも、
この場所で描きたかった世界を、自分の手で守りたいと思いました。

理想を捨てたのではない。
「形を変えて守る」という選択でした。

業界の常識に寄りかかれば、ビジネスとしては成り立ちました。


拡大路線に進めば、それらしい成功の形も描けたかもしれない。


けれど、それでは、自分が変えたかった構造を、自らの手で再生産してしまうことになる。

理想と現実に続く未来との齟齬を受け入れたとき、
私は「成り立つこと」ではなく、「自分の正義が納得すること」を選ぶと決めました。

その選択は苦しかったし、悔しかった。

誰にも理解されないとも思った。


けれど、それは私にとって、避けては通れない通過点でした。

*振り返れば、あの時間の中で、私も多くのことを学びました。
共に過ごしてくれたすべての人に、今も感謝の気持ちは変わりません。


かつての理想と現実のあいだで揺れながら、私がたどり着いた“いま”の感覚について、
もう少しだけ続きを綴りました。


▶︎

*写真は、初めてアイラ島を訪れたときに撮ったものです。
何かを始めるとき、人は必ずしも確信に満ちているわけではない。
それでも、自分で歩き出すしかなかったあの旅の空が、今も記憶に残っています。
“選ぶ”ということの重さと、それでも選んでいくという覚悟は、こんな曇り空にも似ているのかもしれません。

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バー経営の裏側

【この記事を書いた人】

谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社Little.m 代表取締役/オーナーバーテンダー

広島・流川で2006年からウイスキーとラムの専門店「Bar Little Happiness」を営む。国内外の蒸溜所を訪ね、造り手の話をコラム「ウイスキーとラムの手帖」に綴っている。広島市優良技能者。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」

【お店の情報】📍 Bar Little Happiness

広島市中区流川町5-14 Rolling流川 1F
月〜土 19:00〜24:30/日 19:00〜24:00(店主が蒸溜所へ旅に出る日はお休み)
ノーチャージ・予約不要

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