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「あなたは、他所で頑張りなさいね」——小正醸造・小正倫久社長に聞いた、家業を継ぐまでの物語

2026.9.13
小正醸造・小正倫久社長とリトルハピネス谷本

この記事の要点

  • 1883年創業の焼酎蔵・小正醸造の小正倫久社長に、家業を継ぐまでの道のりを聞いたインタビューです。
  • 小正醸造がKOMASA RUMに込めた考えも聞きました。KOMASA RUM -Aged- の造りは別の記事で紹介しています。

嘉之助蒸溜所には、もう一人の社長がいます。

そう言うと、少し不思議に聞こえるかもしれません。

正確には、嘉之助蒸溜所の代表取締役社長は、小正芳嗣さん。

そして、その嘉之助蒸溜所の母体である、小正醸造株式会社の代表取締役社長が、芳嗣さんの弟である小正倫久社長です。

小正醸造は、1883年創業の焼酎蔵。

嘉之助蒸溜所は、そこから生まれた洋酒事業を担う会社として設立され、現在は小正醸造と分社化されています。

つまり、嘉之助蒸溜所を知っていくと、その背景には必ず「小正醸造」という会社が出てくる。

そして、その小正醸造を率いているのが、倫久社長です。

「弟さんは、どんな人なんだろう?」

調べてみると、兄である芳嗣社長については、嘉之助蒸溜所のことも含め、たくさんのインタビューや記事があります。

ところが、倫久社長については、驚くほど情報が少ない。

こうなると、私の悪い癖です。

「本人に聞いてみたい」

そう思ってしまいました。

面識はありません。

それでも、突然ご連絡しました。

倫久社長は、快く迎えてくださいました。

そして私は、鹿児島へ向かいました。

KOMASA RUMの話を聞くために。

……そして、それ以上に、

小正倫久という人の話を聞くために。


青空の下に立つ小正醸造・日置蒸溜蔵の看板(さつま小鶴)

その日は、晴天でした。

鹿児島の太陽が、じりじりと照りつけています。

小正醸造の日置蒸溜蔵。

広い空間には、仕込みを待つ芋が並び、大きな機械が動いています。

私が歩いていると、すれ違う社員さんが、

「こんにちは」

と、笑顔で声をかけてくださる。

また一人。

「こんにちは」

いろいろな蒸溜所を訪ねています。

そこで感じる「雰囲気」。

言葉にするのは難しいのですが、そこで働く人たちの表情や、声のかけ方、人と人との距離感には、その場所の空気が表れるように思います。

この日、日置蒸溜蔵で感じたのは、とても穏やかな空気でした。

そして、なんだかみんな楽しそうだった。

私は、この理由をまだ知りませんでした。

小正醸造・日置蒸溜蔵の製造現場で、スタッフさんの笑顔

KOMASA RUMの話から

この日、私がお話を伺ったのは、KOMASA RUMについてでした。

担当してくださったのは、菊池さん。

どうやってラムが生まれたのか。

どんな原料を使い、どんな考えで造っているのか。

とても丁寧な資料を用意してくださっていました。

KOMASA RUMについて話を聞きに来た人は、私が初めてだったそうです。

ラムそのものの話を聞きながら、その言葉の奥にあるものを知りたくて、耳を傾けていました。

その途中で、小正社長が話に加わります。

「それはね……」

そう言って、会社の歴史や、その背景を補足してくださる。

少しずつ、小正醸造という会社そのものが見えてくる。

KOMASA RUMが、どうしてこういうラムになったのか。

その背景には、小正醸造が歩いてきた長い時間がありました。

▶️KOMASA RUMについては、こちらの記事に詳しく書いています。

でも、私がこの日、一番知りたかったのは、その先でした。

「小正倫久社長自身は、どんな人なんだろう」

けれど、次の予定の時間が近づいています。

次のアポは、嘉之助蒸溜所。

「まだ一番聞きたかったことが聞けてないんです!!」

「送りますよ」

と倫久社長が言ってくださいました。

私は助手席へ乗り込みました。

日置蒸溜蔵から嘉之助蒸溜所までは、そう遠くありません。

だからこそ、聞ける時間は限られています。

私は、走り出した車の中で、聞きたかったことを一つずつ尋ねました。

すると、倫久社長はゆっくりと話してくださいました。

ここからは、どこにも書かれていない倫久社長の話です。


「あなたは、他所で頑張りなさいね」

倫久社長は、創業家に生まれました。

けれど、継ぐことを期待されていたのは、兄のほうでした。

むしろ、子どもの頃から、

「あなたは、他所で頑張りなさいね」

そう言われて育ったそうです。

継ぐのは、お兄さん。

弟は、外へ出る。

子どもの頃から、それが決まっていました。

「子どもって、感受性豊か」

倫久社長は、そう話します。

親が言った言葉を、そのまま受け取るわけではない。

その言葉の裏側を、子どもなりに考えてしまう。

そして、

「自分は期待されていないんじゃないか」

そんなふうに感じるようになった。

中学生の頃には、この家にいること自体が、気持ち悪いような感覚になっていたそうです。

そして、高校を中退。

鳶職のアルバイトをしながら、社会勉強をしていました。

そんなとき、お兄さんから、

「このまま、井の中の蛙でいいのか」

と言われた。

その言葉をきっかけに、大検を受け、東京の大学へ進学。

居酒屋で4年間、アルバイトをしました。

そこで働いていた店の大将から、

「この店を継いでくれ」

と言われたこともあったそうです。

期待されて嬉しい。

けれど、

「でも、それだと鹿児島に帰れない……」

そんな思いもあった。


自分から戻る

就職活動の時期になりました。

これから何をして生きていくのか。

自分自身と向き合う中で、倫久社長はあることに気付いたそうです。

自分がここまで育ってこられたのは、会社があったから。

社員さんが働いてくれていた。

親が会社を守ってきた。

自分の人生の後ろには、ずっと、小正醸造という会社があった。

そう思ったとき、

「恩返しがしたい」

という気持ちが生まれたのだそうです。

けれど、そこには兄がいます。

当時はまだ、小正醸造と嘉之助蒸溜所が分社化される前。

小正醸造という一つの会社を、兄が継ぐことになっていました。

親に相談すると、

「兄貴に聞きなさい」

と言われた。

「芳嗣に聞きなさい。芳嗣が後を継ぐ立場だから」

倫久社長は、兄のところへ行き、頭を下げた。

お兄さんは、弟を会社に入れてくれました。

ただし、

「小正家として、甘やかさないから」

そう言われたそうです。

私は、この話を聞いたとき、

「創業家の跡継ぎ」

という言葉だけでは、倫久社長の人生は語れないと思いました。

倫久社長は、

「継がなくていい」

と言われて育った。

家の外へ出て、一度、自分の人生を歩いた。

そして自分から、

「この会社に恩返しがしたい」

と思って戻ってきた。

これは、きっと簡単なことではなかったと思います。

兄弟だからこそ、言えないこともある。

創業家だからこそ、逃げられないこともある。

「会社を継ぐ」という一言の裏側に、どれだけの葛藤があったのだろう。

私は、その話を聞きながら、そんなことを考えていました。


小正醸造が歩いてきた道

倫久社長が戻ってきた小正醸造も、順調な時期ばかりでもありませんでした

時代の変化に合わせて、さまざまな事業に挑戦してきた。

うまくいかなかったものもある。

会社そのものを手放すことまで考えなければならない時期もあった。

先代の時代には、会社を譲る相手を探して、日本中を回ったこともあったそうです。

それでも、手放さなかった。

その後、焼酎ブームが訪れ、会社を繋いでいくことができた。

そんな歴史の先に、今の小正醸造があります。

そして、小正醸造は次の時代・ウイスキー事業へと進んでいくことになります。

嘉之助蒸溜所の建設工事現場の写真を並べた「嘉之助蒸溜所、始動。」の展示パネル

「焼酎を隠してやるくらいだったら、やらない方がいい」

なぜ、小正醸造がウイスキーをつくったのか。

その出発点にあったのは、焼酎でした。

小正醸造には、

「焼酎を世界へ届けたい」

という想いがあった。

けれど、海外へ焼酎を持っていって、

「美味しいね」

と言ってもらえても、そこから先へ広がっていくのが難しい。

だったら、自分たちが持っている蒸留の技術を使って、世界に伝わる酒をつくってみよう。

そこから、ウイスキーという道が始まります。

それが、嘉之助蒸溜所です。

でも、そこで一つの葛藤がありました。

「焼酎」という言葉を、一度隠そうという話が出た。

そのとき、倫久社長は、

「焼酎を隠してやるくらいだったら、やらない方がいい」

と反発したそうです。

新しい酒をつくる。

けれど、自分たちが何者なのかは隠さない。

それは、KOMASA RUMにも繋がっているように思います。

ラムをつくる。

ウイスキーをつくる。

でも、その根っこにあるのは、1883年から続く焼酎蔵。

だから、KOMASA RUMには「KOMASA」という名前がついている。

新しいことをするために、過去を捨てるのではない。

自分たちが積み重ねてきたものを持ったまま、新しい世界へ進んでいく。

私には、そんな姿に見えました。

インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ2016などの授賞式写真を飾った、小正醸造の受賞歴の展示パネル

「みんなでやろうぜ」

車は、嘉之助蒸溜所に到着していました。

すでに約束していた時間を少し過ぎています。

それでも倫久社長は、すぐに車を降りることなく、そのまま話を続けてくださいました。

駐車場で、30分くらいだったでしょうか。

会社のこと。

これからのこと。

人のこと。

その中で、倫久社長が大切にしている言葉を聞きました。

「みんなでやろうぜ」

会社という場所で、人が人として成長できること。

一緒に働く人たちが、自分らしく仕事ができること。

そんなことを大切にしている。

その話を聞いたとき、私はふと、日置蒸溜蔵の光景を思い出しました。

「こんにちは」

と声をかけてくれた社員さんたち。

楽しそうに働いていた人たち。

そして、倫久社長がこれまで話してくださった人生。

そこで、私は一つのことを考えました。

自分が感じた寂しさや葛藤を、今度は誰かに味わわせたくない。

もしかすると、そんな思いもあるのではないか。

「みんなでやろうぜ」

その言葉を聞いたとき、私はそう思いました。

もちろん、これは私が話を聞いて感じたことです。

倫久社長が、そう説明されたわけではありません。

でも、人が大切にしているものには、その人が歩いてきた人生が、どこかに表れるものだと思います。


あの日の「こんにちは」

やがて、嘉之助蒸溜所が閉まる時間が近づきました。

もう本当に時間です。

「また絶対お会いしましょう!」

そう言って、握手をしてお別れしました。

帰り道、私は日置蒸溜蔵で感じた、あの穏やかな空気を思い出していました。

あの日、社員さんたちが自然に声をかけてくれたこと。

みんな、なんだか楽しそうだったこと。

その理由が、今なら少し分かるような気がします。

自分の居場所を探した人が、

今度は、人の居場所をつくろうとしている。

そんなふうに感じました。

だから、あの日の日置蒸溜蔵で聞いた、

「こんにちは」

は、あんなに暖かく穏やかな雰囲気をしていたんだと思います。

私には、その穏やかな空気そのものが、

倫久社長がこれまで歩いてきた人生の、ひとつの答えのように感じられたのです。

夕日が沈みかけた鹿児島の海岸と、茜色に染まる空

小正倫久社長。

突然ご連絡したにもかかわらず、快くお時間をつくってくださり、本当にありがとうございました。

今回の鹿児島の旅で、私が一番聞きたかったのは、社長のお話でした。

時間が足りなくて、今回は、そのほんの一部しか書けませんでした。

また、続きを教えてください。

そして、嘉之助蒸溜所の皆様。

予定時間を大幅に過ぎてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

それでも温かく迎えてくださり、ありがとうございました。

今回の旅で、どうしても聞きたかったお話を最後まで聞くことができたのは、皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。

夜の闇に「KANOSUKE」のサインが浮かび上がる嘉之助蒸溜所の外観
嘉之助蒸溜所の建物前で、小正醸造・小正倫久社長と並ぶ谷本美香

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ラムジャパニーズラム造り手の想い

【この記事を書いた人】

谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社Little.m 代表取締役/オーナーバーテンダー

広島・流川で2006年からウイスキーとラムの専門店「Bar Little Happiness」を営む。国内外の蒸溜所を訪ね、造り手の話をコラム「ウイスキーとラムの手帖」に綴っている。広島市優良技能者。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」

【お店の情報】📍 Bar Little Happiness

広島市中区流川町5-14 Rolling流川 1F
月〜土 19:00〜24:30/日 19:00〜24:00(店主が蒸溜所へ旅に出る日はお休み)
ノーチャージ・予約不要

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