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雨の日に、蒸留は始まる ── 元イチローズモルト大島さんが挑むラム酒〈レインメーカー〉

2026.6.09
馬宿蒸溜所のジョウさんと、レインメーカーの大島さんが蒸留機の前で笑っている

その日は、小雨でした。

風が倉庫の壁を叩いて、ひゅうひゅう、と鳴っています。

大島さんは、蒸留器の前に立っていました。

元イチローズモルト大島さんが蒸留機の前で

流れ出てくる透明な液体を、まずは香りで確かめ、それから、ほんのひと口だけ舌の上で転がします。

「いま、59.5%ですね。……ちょっと低い」。

計器の数字を待つより先に、もう度数の見当がついている。

十分後にもう一度計って、それでも低ければ絞りを変えます、と言いました。

最初に出てくる荒々しい部分(ヘッド)を落とし、最後の重たい部分(テール)も落として、真ん中の、いちばん澄みきったハートだけをすくい取る。

そのどこで切るか。

ほんの一瞬の判断が、樽に入る前のラム酒の表情を決めてしまいます。

大島さんは、その境目を、長年で磨かれた鼻と舌で、迷いなく見極めていきます。

元イチローズモルトの大島さんが手掛けるラム酒・レインメーカーの原酒

「飲んですぐ分かるなんて、羨ましいです」。

思わずそう漏らした私に、大島さんは笑って首を振りました。

「いろんなボトルを飲んでいるバーテンダーさんのほうが、ずっと幅を知っていますよ」。

本物の造り手ほど、こうして軽やかに謙遜なさるのだと、またひとつ教わった気がしました。

大島さんが生み出そうとしている新しいラム酒の名は、〈レインメーカー〉。

なぜ、その名前なのでしょう。

お話は、ずっと昔にさかのぼります。

香りの記憶

東京・青山。

ご両親が営む割烹が、大島さんの原風景です。

お父さまの店で、お母さまも一緒に働いていて、幼い大島さんは、しょっちゅうそのカウンターのそばにいました。

鍋から立つ湯気、皿の上の季節、そして、グラスを傾けながらわいわいと笑う大人たち。

美味しい食事と、美味しいお酒。

その真ん中にある幸福そうな空気が、たまらなく好きだったといいます。

「これ運んで」。

大人たちに可愛がられ、手伝いに駆け回る。

洗い物をするのさえ、なんだか楽しかった。

お酒って、いいな。

いちばん最初の小さな灯は、この店のにぎわいの中にともりました。

そして、その隣にはいつも、おじいさまがいました。

おじいちゃん子だった大島さんが、いちばん一緒に遊んだ人。

スキットルからウイスキーを傾ける、粋な人でした。

立ちのぼるその香りを、幼い大島さんは「いい香りだな」と、ただ覚えていたそうです。

それが何のお酒だったのかを知ったのは、おじいさまが亡くなった日のこと。

形見を分ける段になって、初めて知ります。

あれは、ウイスキーだったと。

「これを、作ってみたい」。

中学に上がる頃、大島さんはそう思ったのだそうです。

夢と、現実

大島さんが中学一年の頃、お父さまが病に倒れます。

動くこともままならないほどに。

高校に上がる頃には、お母さまも体調を崩され、

家計はたちまち苦しくなり、高校に通うことさえ、ぎりぎりだったといいます。

進んだのは、都立園芸高校。園芸や食品科学を学べる場所です。

定期券すら買えず、自転車で片道一時間。

当時の体重は、48キロ。

週6で飲食店や電気工事の仕事を掛け持ちして、夏は、ペンキ屋や左官屋で身体を動かして稼ぎ、自分の足で道をつなぎました。

お弁当を広げ、部活に汗を流す同級生が、まぶしくて仕方なかったといいます。

廃棄になるお弁当や、まかないの残りが、お昼ごはんでした。

年に一度だけは、仲間と青春18きっぷで全国をめぐり、各地の酒蔵を訪ね歩く。

それが、何よりの楽しみだったといいます。

…

ところがやがて気づいてしまいます。

蒸留酒を造る会社は、求人を出していない。

東京にいて、ウイスキーを学べる場所は、どこにもありませんでした。

それならばと、いちばん近いところからワインを、と心を決めます。

進んだのは、ワインを学べる専門学校。

けれど学費は、自分で工面するしかありません。

昼は学校、夜は夜勤。

明けにそのまま登校して、喫煙所で二時間だけ眠る。

それでも、食事より、ウイスキー、ワイン、焼酎・・・お酒への学びににお金を使うくらいに、お酒の世界に心酔していきます。

そんな日々を、二年。

そんな毎日のなか、ワイナリーへの研修制度に、選ばれます。

くぐり抜けて立った初めての現場で、確信したそうです。

「想像していた通り、楽しい」と。

夢の蒸溜所へ

転機は、一枚の新聞記事でした。

秩父で、のちに世界が認めることになる秩父イチローズモルトの蒸溜所が、いままさに産声をあげようとしていました。

記事を見つけるなり、大島さんは電話をかけます。

まだ学生でした。

「給料はどうでもいい、とにかく働きたい」。

4回、断られたそうです。

それでも食い下がって、ついに現場へ。

実は私も、イチローズモルトがまだ無名だった創業まもない頃に行った一人です。

カードシリーズの可愛さに一目惚れして、酒屋さんに「全部押さえてください」と電話をかけまくりました。

ネット通販などほとんどなかった時代、突然電話してきて、ずいぶん変わったお客だったと思います(笑)。

造り手として、ファンとして。

同じ蒸溜所を、私たちは別々の入口から見ていました。

その二本の線が、いまこうして一本に交わっているのが、なんだか不思議です。

秩父イチローズモルトの入口

大島さんは、イチローズモルトで15年を過ごしました。

創業まもない蒸溜所の歩みは、じっと我慢の日々から始まったといいます。

やがて、ライトに飲んでも楽しめる〈ホワイトラベル〉が生まれ、たくさんの人が、気軽にイチローズモルトの味に出会えるようになりました。

国際的なコンテストでの評価は、うなぎのぼり。

イチローズモルトは、世界中で奪い合われるようになっていきます。

けれど…… これは、20年経営に向き合い、組織というものに葛藤してきた私の、勝手な想像なのですが…

ものづくりの現場が大きくなるというのは、きっと、手放しに喜べることばかりではないのだろうと思います。

人が増え、造る量が増え、世界が求める速さに応えていく。

そのなかで、ひと樽に、ひとりの手と想いは、どこまで届くのか。

小さな工房だからこそできたことと、大きな組織だからこそできること。

そのあいだには、数えきれない葛藤や、すぐには答えの出ない問いが、あったのではないでしょうか。

小さなクラフトの蒸溜所が、世界に名だたる造り手へと駆けのぼっていく。

その光と、裏側にあった道のりごと、その歳月のすべてに、大島さんは立ち会ってきました。

何もなかった時代から、すべてを手でつくる現場で重ねた15年が、まさしく、いまの大島さんの、あの鼻と舌と手をつくったのです。

そしてそれは、肥土伊知郎さんという稀有な造り手が、何もないところから築き上げた場所でした。

その背中を間近で見つづけられたことは、大島さんにとって、かけがえのない財産だったに違いありません。

「夢のステージでした」。

そう振り返る横顔が、忘れられません。

ラム酒へ、そして〈レインメーカー〉

ウイスキーに向き合いながら、大島さんの胸にはもう一つの夢が、ずっとくすぶっていました。

ラム酒を造りたい。

日本で造る人があまりに少ないからこそ、可能性がある、と。

じつは大島さん、イチローズモルトの門を叩いたときから、心に決めていたことがありました。

いつか、独立して、自分の手で酒を造る。

15年の現場は、その日のための、長い長い助走でもあったのです。

その道のりで出会ったのが、日本のクラフトラムの草分けのひとり、竹内さんでした。

たった一人で全ての工程を回していたナインリーヴズ蒸溜所と、大島さんには浅からぬ縁があります。

けれどその蒸溜所も役目を終え、熟成を続ける貴重なラムたちは、いまイタリアの名門〈ヴェリエ〉が受け継いでいます。

そして、ついに。 大島さんは、長年の夢だった独立への一歩を踏み出しました。

いまはまだ、自分の蒸溜所は建設待ちです。

各地で蒸留を重ねながら、その日を待っています。

数年後には、秩父に、大島さん自身の蒸溜所が完成するのだといいます。

あの日、少年が一本の新聞記事を握りしめて電話をかけた、 あのイチローズモルトのある秩父に。

夢が叶った土地へ、今度は自分の城を築くために戻っていく。

話を聞きながら、私はドキドキしていました。

ファインスピリッツ株式会社のロゴ

会社のロゴに選んだのは、奥さまのご実家に伝わる家紋だそうです。

受け継ぐもの、家族とともに歩むという覚悟が、そこに刻まれているのかもしれません。

そして、ブランド名。

何かを始めようとすると、大島さんにはいつも、雨が降ったのだといいます。

初めて蒸留した日も。 イチローズモルトの門を叩いた日も。

レインメーカーという言葉には、いくつもの意味が重なります。

雨乞いをする人。

優れた成果を生み出すもの。

そして、人を率いる、有能な人物。

…

恵みの雨を呼ぶように、渇いた誰かの心を満たす一杯を。

そんな願いが、この名前には込められているのかもしれません。

いつか、この一杯を

今回、大島さんが香川の蒸溜所をお借りして試験蒸留をすると聞いて、ご一緒させていただきました。

そういえば、その日も朝から小雨で、風がやけに強い一日で。

何かを始めるとき、やっぱり雨が降るんだなと、ひとり可笑しくなりました。

このラム酒が熟成されリリースされる頃には、秩父のラム酒蒸溜所も、もう始まっているのかもしれません。

〈レインメーカー〉が、リトハピのカウンターに並ぶ日を、私は今から待ちきれずにいます。

そのときはまた、グラスを傾けながら、この長い物語の続きをお話ししたいと思います。

雨の日なら、なおいいですね。

ジャパニーズラム酒の生産者とバーリトルハピネス店主

(今回、香川の蒸溜所でご一緒させていただいた、国産ラム酒の生産者たちとパシャリ。)

【補足】

大島さんは、昔のことを思い出すと、気持ちがキューっと痛いと言われていました。

幼少期の辛い経験は、書かないでおこうかなと思ったのですが、この大島さんという人の物語を、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思いました。

蒸留をしている横で色々質問して、途中で途切れながら、ぽつりぽつりと聞いただけなのに

私は、なんでこんなに、大島さんの話が心に残ったのだろう。

このコラムをまとめながら、あたらめて感じていることがあります。

大島さんには、覚悟と、自分への信頼がありました。

それは、圧倒的な知識と経験に裏付けられた、ブレない強さでした。

きっと想像できないくらいに、たくさんの悔しさを飲みこんで、それでも一つのことだけは手放さずに、ここまで歩いてこられたのだと思います。

つらい記憶を、わざわざ掘り起こさせてしまったかもしれません。

それでも話してくださったのは、大島さんが、もう過去に負けていないからだと、私には思えました。

だから私は、ここに書きます。

その想いを知ったお酒は、きっと、もっと美味しくなるから。


出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。

「ウイスキーもラム酒も、造り手の想いに触れた時、もっと美味しくなる。」


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【この記事を書いた人】

谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社Little.m 代表取締役/オーナーバーテンダー

広島・流川で2006年からウイスキーとラムの専門店「Bar Little Happiness」を営む。国内外の蒸溜所を訪ね、造り手の話をコラム「ウイスキーとラムの手帖」に綴っている。広島市優良技能者。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」

【お店の情報】📍 Bar Little Happiness

広島市中区流川町5-14 Rolling流川 1F
月〜土 19:00〜24:30/日 19:00〜24:00(店主が蒸溜所へ旅に出る日はお休み)
ノーチャージ・予約不要

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