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継承 ―― カバランから小諸へ、イアン・チャンが運んだもの

2026.6.07
小諸蒸溜所イアンチャン氏と、澁谷さん。バーリトルハピネスの店内にて会合

小諸蒸溜所のマスターブレンダー、イアン・チャンさんと、ある昼下がりにお会いしました。

7月にリトハピでテイスティング会を開いていただくことになり、その前に会って親交を深めたいと、わざわざ広島まで足を運んでくださったのです。

私には、ずっと聞いてみたいことが山ほどありました。

なぜウイスキーを好きになったのか。

なぜカバランだったのか。

なぜそこを離れて、小諸蒸溜所を選んだのか。

日本語のインタビューにはほとんど載っていない、イアンさんの「はじまり」の話です。

気づけば、私は段取りそっちのけで、イアンさんの人生の話を聞きまくっていました。

聞き終えて、ひとつの言葉が残りました。継承です。

カバランも、小諸蒸溜所も、ジム・スワン博士から受け取ったものも、そしてこれから澁谷さんに渡そうとしているものも。

イアンさんの話には、いつも「誰かから受け取って、誰かへ渡す」という一本の線が通っていました。

今日はその物語を、私なりに書き残しておきたいと思います。

小諸蒸溜所・イアンチャン氏と、澁谷さん・Bar Little Happiness谷本美香と一緒に会食

はじまりは、偶然でした

イアンさんがカバランに入ったのは、ご本人いわく「偶然」だったそうです。

お父さまが、中国で働いている最中に重い脳卒中で倒れられました。

体の半分が麻痺してしまい、台湾へ戻ってこられたのです。

ちょうどその頃、イアンさんは兵役に就いていて、お母さまから「家に帰って家族の面倒を見てほしい」と言われたのだといいます。

だから地元の近くで仕事を探しました。

カバランは、家から車で20分のところにありました。

それだけの理由で応募したそうです。

すると面接に呼ばれ、一連のノージング(嗅覚)テストを受けることになりました。

同じ仕事に応募していた人はたくさんいたはずですが、なぜ、イアンさんだったんですか?と私が聞くと、

ご本人は「間違っているかもしれないけれど」と前置きして、こう言いました。

「イギリスで9年間、学生として過ごしました。スコットランドやイギリスの人とやりとりする必要があったので、それが利点と見られたのかもしれません。」

家族のために地元へ帰る。

たまたま近くにあった会社に応募する。

これだけ聞くと、ずいぶん受け身なはじまりに思えます。

でも、たどり着いた先が、特別な場所でした。

イアンさんがカバランに入った時、カバランはまだ建設の段階でした。

蒸溜所を建てるところからのスタート。

何もない、ゼロ。

偶然たどり着いた場所が、ゼロから何かを生み出す現場だった。

この「ゼロからのはじまり」が、のちに小諸蒸溜所へと導いていきます。


貯蔵庫の中で、ウイスキーの世界に恋に堕ちた

カバランに入ったイアンさんを、ウイスキーの世界へと最初に導いてくれた人がいます。

その方は、イアンさんをスコットランドの蒸溜所——グレンリベットをはじめとする名だたる蒸溜所——に連れて行き、ポットスチルが光る現場、熟成庫の中を実際に見せてくれました。樽がずらりと並び、あの貯蔵庫の中へ。

”とてもロマンチックで。まるでファンタジーの世界のようでした。だから前に進んで、二度と戻らないと決めたんです。”

貯蔵庫の中で、イアンさんはウイスキーの世界に恋に堕ちたんだとおもいます。

この感覚、私にはとてもよくわかります。

造り手も、私のような一介のファンも、たぶん同じ景色に心を奪われているのです。

この出会いがなければ、今のイアンさんはいなかったかもしれません。


師から受け取ったもの

そして、イアンさんの人生を決定づける師が現れます。ジム・スワン博士です。

博士がイアンさんに最初に教えたのは、こんな言葉でした。

“ウイスキーは生き物だ。飲料とは違う。コカ・コーラなら、レシピさえあればどこでも同じものが作れる。でもウイスキーは違う。その土地の気候、条件、水に合わせて、作り方を変えなければならない。”

「やり方を変えなければならない」

スコットランドのやり方を、そのまま台湾に持ち込むことはできない。

気温も湿度もまるで違うのだから。

この教えが、イアンさんに決定的なインスピレーションを与えました。

イアンさんは食品化学を学んでいましたが、ウイスキーの核心である有機化学には、講義の中でほとんど触れていなかったといいます。

だから最初はずいぶん苦労されたそうです。

ジム・スワン博士は、まさにその分野の人でした。

私は、イアンさんに「いつ頃、自分の“形”みたいなものができたんですか」と聞いてみました。

返ってきた答えは、こうでした。

ジム・スワン博士と共に、長い時間をかけて。

自分のスタイルが定まるまでに、およそ10年。

それは、ジム・スワン博士のもとで学び続けた歳月と重なります。

師から受け取りながら、自分の形をかたちづくっていった12年。

その同じ年月の中で、カバランは世界中でたくさんの賞を取りました。

ジム・スワン博士が、ずっと後ろで見てくれていたから。

ここで私が一番すごいと思っているのは——イアンさんたちがカバランを離れた後も、カバランは賞を取り続けている、ということです。

それをお伝えすると、イアンさんはこともなげに言いました。

「みんないい人たちですから。だから安定しているんです。ジムスワン博士だけではなく、カバランの同僚たちとも一緒に学んだ」と。

学ぶ力。育てる力。受け取ったものを、ちゃんと次に手渡せる力。

自分がいなくなっても続いていくものを、イアンさんはカバランで残してきたのです。


ゼロから16歳まで育てた「子ども」を手放す

そして、卒業のとき。

カバランを辞めると決めたとき、どんな気持ちだったのかを聞きました。

一生懸命育ててきたものを、一度手放すのです。

並大抵の決意ではなかったはずです。

イアンさんは、こう答えました。

「カバランを辞めたとき、本当に悲しかった。カバランはゼロから育てた、0歳から16歳まで育てた赤ん坊のようなものでしたから。妻も、母も、娘たちまで、家族みんながとても悲しんでいました。」

ゼロから16歳まで育てた子ども。

その例えに、イアンさんがカバランに注いだ歳月の重みが、すべて込もっています。

育て上げたその子を残して、自分の手を離す。

家族みんなが悲しむほどの、大きな別れでした。


「コンサルタントになろうか」という、模索の日々

カバランを離れたあと、イアンさんが考えていたのは、特定の一社に腰を据えるのではなく、コンサルタントになることだったといいます。

そうすれば、いろいろな造り手と関わり、さまざまな蒸溜所に自分の経験を分け与えることができるから。

実際、声はいくつもかかっていました。

ある大きな企業からは、ブランドの蒸溜所を建てたいと誘われました。

けれどその計画はとても慎重で、何年経った今も、まだ動き出してはいないといいます。

別の話は、契約寸前まで進んでいました。

ところが、ちょうどそのタイミングで、コロナが始まったのです。

「もしあの話を受けていたら、人生は違っていたかもしれません。ここには、いなかったかもしれない。」

そしてこの頃のイアンさんは、心から疲れてもいました。

年間200日以上を講演に費やし、10年間ずっと家を空け続けてきたため、娘の成長すら見届けられなかったといいます。

コロナが始まったとき、海外出張ができないタイミングになったのもあり「少し休みたい」と漏らしたこともありました。

それでも、立ち止まることは許されませんでした。

休もうとして、休めない。

どこへ向かうとも決まらないまま、イアンさんは次の道を探すようになったのかもしれません。

その模索のまったただ中で、小諸蒸溜所との出会いが訪れます。


小諸との出会い ―― ふたたび、ゼロから

「ほとんど完璧なご縁でした。私にとっては、運命的な出逢いだった。」

イアンさんは、小諸蒸溜所との出逢いをそう振り返りました。

ほかの道もありえた中で、こうして日本にたどり着けたこと。

それを語るとき、イアンさんはこんな言葉を口にしました。

「天国にいるジム・スワン博士がいつも、私が間違った道に進まないよう、見守ってくれている。」

亡き師は、もういません。

それでもイアンさんは、自分の歩む道が逸れないよう、博士がいまも導いてくれていると感じている。

受け取ったのは、ウイスキー造りの技術だけではなかったのだと思います。

師の存在そのものが、イアンさんの進む方向を、指し示し続けていたのかもしれません。

小諸蒸溜所——KDIを率いる島岡社長は、もともと金融の世界にいた人でした。

けれど「自分の蒸溜所を持ちたい」という強い想いを抱いていた人です。

豊かな人脈を持ち、投資を呼び込む力があった。

私は思わず、サントリーを生んだ鳥井信治郎さんと竹鶴政孝さんのコンビネーションみたいですね、と口にしました。

イアンさんも「いいですね」と笑ってくださいました。

ビジネスを担う人と、製造を担う人。

役割の異なるふたりが組んだとき、新しいウイスキーが生まれる….

「社長の強みは、たくさんの人脈があること。だから投資が集まり、投資を受けられる。私の役割はウイスキーを造ることと、次世代を育てること。個人的には、とても良い組み合わせだと思います。」

ここで、あの「コンサルタントになろうか」という想いが、思いがけない形で実を結びます。

最初、イアンさんは小諸蒸溜所とも、コンサルタントとして関わるつもりでいました。

そうすれば、ほかの造り手とも仕事ができるから。

けれど島岡社長は、イアンさんが他社と関わることを望みませんでした。

「私たちに加わりませんか。共同創業者にします。」

そう言って、イアンさんを離さなかったのです。

この誘いは、イアンさんの胸の奥にあった本心と、ぴたりと重なるものでした。

「心の中では、私もまた、ゼロから新しいプロジェクトを始めたかったんです。だから、これは完璧な機会でした。」

たくさんの蒸溜所と少しずつ関わるコンサルタント。

それも魅力的な道だったはずです。

でも本当は——もう一度、何もないゼロのところから、自分の手で立ち上げたい。

カバランをゼロから世界ブランドまで育てた人の中には、その渇望が残っていました。

何もないところから、子どもが育っていくのを見るように。

小諸は、その「もう一度」を叶える場所でした。


そしてもうひとつ、イアンさんの心を動かしたのが、小諸という土地そのものでした。

「長野」と聞いてまず思い浮かべたのは、日本でもっとも平均寿命が長い土地だ、ということだったそうです。

とても健康的なライフスタイルだ、と。

小諸蒸溜所があるのは、標高910メートルの森。

昼と夜の寒暖差が大きく、夜はぐっと冷え込みます。

そのぶん熟成も、低地とはまるで違う速度で、ゆっくりと進む。

ウイスキー作りを知り尽くしたイアンさんにとってさえ、小諸は「初めての挑戦」でした。

だから今も毎日ノートを取り、最新の科学論文にも目を配り、新しい知見を貪欲に取り入れている。

標高910メートルの森でゆっくりと育つウイスキー。

それは、イアンさんがもう一度ゼロから向き合うに足る、特別な舞台だったのです。

「出逢いは必然」。

私がいつもお客様にお話ししている言葉が、イアンさんの道のりそのものに重なって見えました。

いくつもの選択肢があった中で、イアンさんはちゃんと、小諸蒸溜所にたどり着いたのです。


今度は、渡す側へ

小諸蒸溜所でのイアンさんの立場は、カバランの時とは違います。

カバランでは、イアンさん自身が当事者として、ブレンダーとしてウイスキーを造りました。

けれど小諸では、もっとコンサルタントに近い立場です。

受け継いだものを、次の世代へバトンタッチするための場所。

それが小諸蒸溜所なのだといいます。

「島岡社長に会ったとき、私はジム・スワン博士のノウハウを、未来のウイスキー造りの人たちに伝えるべきだと伝えました。」

師から受け取ったものを、今度は自分が渡す。

その相手のひとりが、通訳としてこの日同席してくださった澁谷さんです。

渋谷さんはもともと魚類免疫学の博士で、ウイスキーとは縁のない世界から来た人でした。

けれどイアンさんは、オンライン面接の画面越しに、ある「直感」を抱いたのだといいます。

「この人は、とても良い次世代になれる」

そして来日後、カバランの時とまったく同じノージングテストを澁谷さんに課しました。

澁谷さんは、合格しました。

かつてイアンさんが素人同然からはじめ、師に見出されて道を歩んだように。

今度はイアンさんが、澁谷さんを見出し、道を示しています。

継承とは、知識を渡すことであると同時に、渡せる相手を見つけることでもあるのだと、深く感動しました。

KDIは今、小諸だけでなく、北海道にも蒸溜所を計画しています。

北海道のものは、小諸の4倍近い生産量になるのだとか。

受け継がれたものが、これからいくつもの土地で、新しく花開いていく計画です。


木を植えるということ

ここからが、私がこの記事をどうしても書きたかった理由です。

イアンさんは、ウイスキーをこんなふうに語りました。

「ウイスキーは、木を育てるのと同じです。木を育てると決めるのは、次の世代のため。木が大きく育てば、人はその木陰を楽しめる。私たちが今していることは、未来の世代が楽しむためのものなんです。」

木を植えると決めるとき、その木陰で休む自分のことは、思い描いていません。

木陰を楽しむのは、まだ見ぬ誰か。

きっとイアンさんは、ずっと前から、こう考えてきたのだと思います。

それを裏づけるような出来事が、去年ありました。

島岡社長と一緒にグレンファークラスを訪れたとき、ブレンダーが、70年もののウイスキーを試させてくれたのだそうです。

70年。気の遠くなるような時間です。

「私は、小諸の70年ものを見届けることはできない。医療がどれだけ進歩しても、無理でしょう。だからそれは、未来の世代が楽しむためのものなんです。」

とイアンさんは言いました。

その70年ものを造ったブレンダーも、きっと自分が飲むためには造らなかったはずです。

70年も前に、まだ見ぬ次の世代のために仕込んでくれた人がいて、いま、この時代の私たちが、それを味わえている。

70年前に植えられた木の、その木陰に、私たちは座っている。

グレンファークラスでの一杯は、もともとイアンさんの中にあった想いを、はっきりと形にして見せてくれたのだと思います。

やはり自分がしているのは、木を植えることなのだ、と。

私はこの話を聞きながら、思わず「一緒です」と口走ってしまいました。

いつも、お客様に同じことをお話ししているからです。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる。」

このウイスキーは、過去の誰かが未来に託したかった強い想いや志、こだわりが、時を超えて届いた贈り物で、とっても尊いもの。

そんな世界観もまるごと味わってほしい、と。

私とイアンさんは、まるで立場が違います。

世界中のウイスキーに関わる人たちが尊敬するレジェンドの造り手と、広島の小さなバーのオーナー。

それでも、見ている景色は、同じでした。

イアンさんも笑って、頷いてくれました。

「それは、私たちの哲学と同じです」と。


人生は短いから

「今、何が一番楽しいですか」と聞くと、イアンさんは「日本での暮らし」と答えました。

時間ができれば日本中を旅し、景色を探しに行く。

最近は北陸がお気に入りで、ほぼ毎週末通っているそうです。

今の課題は言葉の壁で、製造が安定したら東京か埼玉の語学学校に通って、日本語を学びたいのだといいます。

イアンさんが、いつも言われてきた言葉があるそうです。

「人生は短い。だから、楽しめるときに楽しみなさい。」

お話を伺っていて私が感じたのは、イアンさんは深く「自己一致」した人だ、ということでした。

やりたいことと、やっていること。

信じている価値と、日々の暮らし。

志と、仕事。

そのどこにも、ズレやごまかしや無理がない。

仕事のために自分を犠牲にしているのでもなく、暮らしのために志を曲げているのでもない。

次世代のために木を植えるという生き方そのものが、イアンさんにとっての満たされ方。

内側と外側が、きれいに一本につながっている。

それはきっと、マズローの5段階欲求でいうところの、自己実現と呼ばれるような次元で生きている人の顔でした。

生活のためでも、名誉のためでもなく、「自分が本当にすべきこと」をしている人の、穏やかで芯の通った充足。

矛盾を抱えていないから、力みがないのだと思います。

そして私は、こうも思いました。

以前、別の記事にこう書いたことがあります。

これほど世界的に著名な方であるにもかかわらず、登壇されているイアンさんは、隣の蒸留家たちへの敬意、聞いている人たちへの敬意——相手を尊重する姿勢を、一切崩されない、と。きっと、こんな素敵な姿勢の人の造るウイスキーは、調和を大切にした、美しいものが出来上がるのだろう、と。

あの日感じたことの理由が、このランチで、ようやく腑に落ちました。

あの敬意も、この自己一致も、根は同じところから来ている。

そのどこにも矛盾がない人だからこそ、力みがなく、他者にもまっすぐに敬意を向けられる。

内側が調和している人の手からは、調和したお酒が生まれる。

造り手の在りようは、必ずそのままウイスキーの中に映ります。

以前いただいた小諸の原酒——あんなにも澄んで美しかったのは、偶然ではなかったのです。

7月4日に

イアン・チャンという人の物語は、「継承」という一本の糸で結ばれていると、私は感じました。

師から受け取り、自分の手で育て、痛みとともに手放し、また新しいゼロへ。

そして今度は、自分が渡す側へ。

イアンさんは標高910メートルの森で、今日も次の世代のための一杯を仕込んでいます。

木を植えるように、まだ見ぬ誰かのために。

広島のバーリトルハピネスにて、イアンチャン・テイスティング会

7月4日、そのイアンさんを、リトハピにお迎えします。

イアンさんの造った小諸のニューボーンを、イアンさん自身の言葉とともに味わえる夜。

きっと、ただ「美味しい」だけでは終わらない時間になるはずです。

造り手の想いに触れたとき、お酒はもっと美味しくなるのですから!

プレミアムチケットを手にしてくださった皆さま。

どうか、この夜をめいっぱい楽しんでください!!

たぶん私が、いちばんドキドキして、幸福すぎて、いつもみたいにはお客様に気を配れない気がしますが……

どうか大目に見てください🙏

そして、今回この場に座れなかった皆さま。

本当に、本当にごめんなさい。席が足りませんでした。

でも大丈夫。

この夜の感動は、私が責任を持って、ここに書き残します。

だから、どうか楽しみに待っていてください!!


父の病をきっかけに、家のすぐ近くにあったカバランの扉を叩いたこと。

貯蔵庫の中でウイスキーのロマンに出逢ったこと。

ジム・スワン博士という師に巡り会ったこと。

いくつもの道の先で、日本の小諸蒸溜所と繋がったこと。

ひとつひとつは偶然のように見えて、振り返れば、どれも欠かせない一本の線、必然だったように思います。

私が小諸蒸溜所へ行ったのも、イアンさんが私のブログを見つけてくれたのも、偶然に見えて、きっとウイスキーが運んできてくれた必然….。

出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へ、ようこそ。

小諸蒸溜所イアンチャン氏と、澁谷さん。バーリトルハピネスの店内にて会合

Bar Little Happiness / ウイスキーとラムの手帖

「ウイスキーもラムも、作り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」


最後に、未来のブレンダー・澁谷さんへ。


一日中、細かなニュアンスまで訳し続けてくださって、ありがとうございました。

きっと、くたくたですよね。


イアンさんから受け継いだものを、次に渡していく人。

その澁谷さんのおかげで、私はこの素晴らしい時間を受け取ることができました。


いつか澁谷さんの造るウイスキーを飲める日を、心待ちにしています🥃

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【この記事を書いた人】

谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社Little.m 代表取締役/オーナーバーテンダー

広島・流川で2006年からウイスキーとラムの専門店「Bar Little Happiness」を営む。国内外の蒸溜所を訪ね、造り手の話をコラム「ウイスキーとラムの手帖」に綴っている。広島市優良技能者。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」

【お店の情報】📍 Bar Little Happiness

広島市中区流川町5-14 Rolling流川 1F
月〜土 19:00〜24:30/日 19:00〜24:00(店主が蒸溜所へ旅に出る日はお休み)
ノーチャージ・予約不要

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