イアン・チャンとは何者か|世界一のブレンダーが小諸で語ったこと
2026.8.23
このページについて 広島のBar Little Happiness店主・谷本美香が、イアン・チャンさんご本人から直接伺った話をもとにまとめています。
2026年3月の小諸ウイスキーフェスティバル、広島でご一緒したランチ、そして7月4日に当店で開催したテイスティング会。
お会いして伺ったことを、一枚にまとめました。

イアン・チャン(Ian Chang)とは
台湾出身のマスターブレンダーです。2026年現在、52歳。
2005年、台湾・カバラン蒸留所の創業時に、ウイスキー造りの経験ゼロで参加しました。
英国レディング大学で食品科学技術を学んだ経歴を持ちます。
故ジム・スワン博士に師事し、のちに中国語圏で初のマスターディスティラー兼マスターブレンダーとなりました。
個人として500を超える金メダル・トロフィーを獲得しています。
2020年にカバランを離れ、46歳で来日。長野県小諸市の小諸蒸留所(KOMORO DISTILLERY)で、マスターブレンダー兼共同創業者を務めています。
小諸蒸留所のファーストリリースは、2026年11月7日発売です。
カバランに入ったのは、偶然でした
イアンさんがウイスキーの世界に入ったきっかけは、家族の病気でした。
中国で働いていたお父さまが重い脳卒中で倒れ、体の半分が麻痺した状態で台湾へ戻ってこられました。
当時イアンさんは兵役に就いており、お母さまから「家に帰って家族の面倒を見てほしい」と言われたそうです。
だから、地元の近くで仕事を探しました。
カバランは、家から車で20分のところにありました。
応募した理由は、それだけだったといいます。
選考は、一連のノージング(嗅覚)テストでした。
同じ仕事に応募していた人はたくさんいたはずです。
なぜイアンさんだったんですか、と伺うと、イアンさんは「間違っているかもしれないけれど」と前置きしたうえで、こう答えてくださいました。
「イギリスで9年間、学生として過ごして、スコットランドやイギリスの人とやりとりする必要があったので、それが利点と見られたのかもしれません」
入社したとき、カバランはまだ建設中でした。
蒸留所を建てるところからのスタート。何もない、ゼロからです。
この「ゼロから始めた」という経験が、20年後に小諸へとつながっていきます。
最初の1年間は、ひたすらウイスキーの本を読み続けたそうです。
カバラン蒸留所とは
台湾・宜蘭(イーラン)県で2005年に創業した、台湾初の本格ウイスキー蒸留所です。
運営は、台湾の大手食品飲料グループ・King Car Group(金車)。
台湾を代表する国民的缶コーヒー「Mr. Brown(伯朗咖啡)」を擁する企業です。
最初のニューメイクスピリットが生まれたのは、2006年3月でした。
カバランは「亜熱帯ではウイスキーは造れない」という世界の常識を覆した蒸留所です。
創業時、創業者の李天才氏は世界中の専門家から「不可能だ」と言われたといいます。
宜蘭は夏の平均気温が30℃を超え、湿度100%に達する亜熱帯気候。
ウイスキー造りには過酷とされた環境でした。
カバランは、それを欠点ではなく武器として活かす方法を独自に編み出します。
熟成は猛スピードで進み、同時に樽の中身も猛スピードで失われていく。
そのぎりぎりのバランスの上に、カバランの濃厚で芳醇な風味が生まれています。
主な受賞歴
- 2012年|Solist Fino Sherry Cask が Jim Murray’s Whisky Bible で「New World Whisky of the Year」に選出
- 2015年|Solist Vinho Barrique が World Whiskies Awards で「World’s Best Single Malt Whisky(世界最高のシングルモルト)」に選出
- 2016年|International Wine & Spirit Competition(IWSC)で「Worldwide Whiskey Producer of the Year」を受賞
- 2026年|World Whiskies Awards で「Distiller of the Year」を受賞
- 創業以来、累計950以上の金メダルを獲得
インドのアムルット、オーストラリアのスターワード、台湾のカバラン。暖かい気候の蒸留所が、それぞれの風土をハンディキャップではなく個性として世界に問うていく。
「New World Whisky(新世界ウイスキー)」という言葉が業界で当たり前に使われるようになった、その流れをつくった立役者のひとつがカバランだと、私は思っています。
師・ジム・スワン博士から受け取ったもの
転機は2006年、ジム・スワン博士との出会いでした。
「ウイスキー業界のアインシュタイン」とも称された人物です(2017年逝去)。
イアンさんご自身が「公式な学びはここから始まった」と振り返るほど、博士からウイスキー造りのすべてを叩き込まれていきました。
博士がイアンさんに最初に教えたのは、こんな言葉だったそうです。
「ウイスキーは生き物だ。飲料とは違う。コカ・コーラなら、レシピさえあればどこでも同じものが作れる。でもウイスキーは違う。その土地の気候、条件、水に合わせて、作り方を変えなければならない」
スコットランドのやり方を、そのまま台湾に持ち込むことはできない。
気温も湿度もまるで違うのだから。この教えが、亜熱帯でウイスキーを造るという挑戦の土台になりました。
イアンさんが学んでいたのは食品科学技術で、ウイスキーの核心である有機化学には講義でほとんど触れていなかったそうです。
ジム・スワン博士は、まさにその分野の人でした。
自分のスタイルが定まるまでに、およそ10年。
それは、博士のもとで学び続けた歳月とそのまま重なります。
そしてもうひとつ。イアンさんたちがカバランを離れたあとも、カバランは賞を取り続けています。
そのことをお伝えすると、イアンさんはこともなげにおっしゃいました。
「みんないい人たちだから安定しているんです。ジム・スワン博士だけではなく、カバランの同僚たちとも一緒に学びました」
自分がいなくなっても続いていくものを、イアンさんはカバランに残してきたのだと思います。
なぜ、台湾を離れたのか
2020年、イアンさんはカバランを離れます。
15年間、技術の最前線で支え続けた場所でした。
どんな気持ちだったのかを伺いました。
「カバランを辞めたとき、本当に悲しかった。カバランはゼロから育てた、0歳から16歳まで育てた赤ん坊のようなものでしたから。妻も、母も、娘たちまで、家族みんながとても悲しんでいました」
ゼロから16歳まで育てた子ども。 その例えに、注いだ歳月の重みがすべて込もっています。
カバランを離れたあと、イアンさんが考えていたのは、特定の一社に腰を据えるのではなく、コンサルタントになることでした。
そうすれば、いろいろな造り手と関わり、さまざまな蒸留所に自分の経験を分け与えることができるから。
実際、声はいくつもかかっていたそうです。
ある大きな企業からは、ブランドの蒸留所を建てたいと誘われました
。けれどその計画はとても慎重で、何年経った今もまだ動き出していないといいます。
別の話は契約寸前まで進んでいましたが、ちょうどそのタイミングでコロナが始まりました。
「もしあの話を受けていたら、人生は違っていたかもしれません。ここには、いなかったかもしれない」
この頃のイアンさんは、心から疲れてもいました。
年間200日以上を講演に費やし、10年間ずっと家を空け続けてきたため、娘さんの成長すら見届けられなかったといいます。
その模索のまっただ中で、小諸蒸留所との出会いが訪れます。
なぜ、小諸だったのか
「ほとんど完璧なご縁でした。私にとっては、運命的な出逢いだった」
小諸蒸留所を運営する軽井沢蒸留酒製造(KDI)の創業者・島岡高志氏は、もともと金融の世界にいた人です。
元シティバンクのトレーダーで、豊かな人脈と、投資を呼び込む力を持っていました。
画面越しのオンラインミーティングで島岡氏のビジョンを聞いたイアンさんが出した答えが、「I’m in!(一緒にやろう!)」でした。
当初、イアンさんは小諸とも、コンサルタントとして関わるつもりでいました。
けれど島岡氏は、イアンさんが他社と関わることを望みませんでした。
「私たちに加わりませんか。共同創業者にします」
この誘いは、イアンさんの胸の奥にあった本心と、ぴたりと重なるものでした。
「心の中では、私もまた、ゼロから新しいプロジェクトを始めたかったんです。だから、これは完璧な機会でした」
役割については、こうおっしゃっています。
「社長の強みは、たくさんの人脈があること。だから投資が集まり、投資を受けられる。私の役割はウイスキーを造ることと、次世代を育てること。個人的には、とても良い組み合わせだと思います」
ビジネスを担う人と、製造を担う人。
鳥井信治郎と竹鶴政孝のようですね、と私が申し上げると、イアンさんは「いいですね」と笑ってくださいました。
そしてもうひとつ、イアンさんの心を動かしたのが、小諸という土地そのものでした。
「長野」と聞いてまず思い浮かべたのは、日本でもっとも平均寿命が長い土地だ、ということだったそうです。
小諸蒸留所と、50年かけて湧く水
小諸蒸留所は、活火山・浅間山(標高およそ2,500メートル)の中腹、標高910メートルの場所にあります。
2023年に蒸留を開始しました。
ここで欠かせないのが、水の話です。
浅間山の頂から湧き水がこの地に下りてくるまで、およそ50年かかります。
50年ものあいだ大地の自然なろ過を受け、ミネラルたっぷりの硬水になる。
なぜ硬水なのか。イアンさんは、よくそう聞かれるそうです。
答えははっきりしていました。発酵のためです。
硬水に含まれる豊富なミネラルは、酵母の活性化にとてもよく効く。
酵母だけでなく、発酵に関わるほかの微生物にとっても、人間にとってのビタミンのような栄養になる。
だから、発酵のレベルを上げるには硬水が必要なのだと。
この水にまつわる話で、私がいちばん好きなくだりがあります。
イアンさんが日本に来て小諸に入ったのは2020年、46歳のとき。そして今、52歳です。
「50年かけて出てくる水ということは、ほぼ自分が生まれた頃の水を、いま使えているんです」 「私は、日本に来るために生まれてきたのかもしれません」
そう言って、お茶目に笑っておられました。
その水は、ずっとここでイアンさんを待っていたことになります。
小諸蒸留所のウイスキー造り
麦芽と発酵
麦芽は、いくつかを比べたうえで選んでいます。
決め手になったのは、デンプンの含有率がより高いものでした。デンプンは糖に変わり、やがてアルコールになる、酒質の土台です。
発酵にかける時間は72時間。
そのうち後半の10〜15時間ほどを、乳酸発酵の時間にあてています。
特別な酵母と、じっくり時間をかけた発酵。この二つが、あのフルーティーなニューメイクを描いています。
ニューメイクの味わい
ノンピーテッドのニューメイクは、46%まで加水されており、アルコールの刺激がほとんどありません。
一般的にニューメイクには鼻を突くような刺激臭のあるものも少なくありませんが、小諸のものは驚くほどジェントルです。
イアンさんはこれを「熟した果実のよう」と表現します。
主役は桃。そして苺。グリーンアップルのような爽やかさに、キウイのようなシトラス感。
グラスを少し離して嗅ぐと、奥のほうにライチがひそんでいます。
口に含むと、麦芽のビスケットのような香ばしさ。余韻が甘い。
熟成 ──「夏はサンドペーパー、冬は酸素」
イアンさんは、日本の気候を「台湾とスコットランドのちょうど中間」だと言います。
台湾のような暑い夏と、スコットランドのような寒い冬。その両方があることが、熟成の鍵なのだと。
暑い夏は、荒々しい角を磨くサンドペーパーのように。 寒い冬は、樽に酸素を送り込んで、より洗練された香りを育てる。
樽は、ジム・スワン博士から継承したSTR樽(シェービング・トースティング・リチャーリング)を用いています。
大手メーカーにはない複雑なフレーバーを、短期間で付与する技術です。
熟成庫は「ジムスワンハウス」と呼ばれ、師の名を冠しています。
森の環境を封じ込めたような設計で、自然の恵みを建築に取り込みながら、環境への負荷を抑えた造りになっています。
クリスマスに焚く、優しいピート
小諸蒸留所では、ピーテッドを年に一度だけ造ります。12月1日から翌年1月末までの、およそ2か月間です。
なぜ、その時期なのか。
ジム・スワン博士の誕生日が、12月25日のクリスマスだったからです。
博士は、ライトに効かせたピートが大好きでした。
だから小諸では、その時期に優しいピートを焚く。そうして生まれたのが「クリスマス・ニューボーン」です。
ピートレベルは麦芽の段階で約25ppm。
12月から1月、この時期になると、蒸留所全体がスモーキーなベーコンのような香りに包まれるそうです。
「いい香りすぎて、いつもお腹が空いてしまうんです」
なぜあえてライトなピートなのか。
強く焚きすぎると、あの果実味も、蒸留所そのものの個性も、スモークに覆い隠されてしまうからです。
イアンさんが目指すのは、フルーティーさとスモーキーさの両立です。
サントリーのマスターブレンダー・福與氏がこのクリスマス・ニューボーンを試された際、「これは熟成何年ですか」と驚かれたそうです。
答えは、13〜15か月でした。
ウイスキー造りの思想 ──「調和」と「アートとサイエンス」
小諸蒸留所が大切にしているキーワードは、調和とバランスです。
かつてイアンさんが福與氏に「ジャパニーズウイスキーとは何か」と尋ねたとき、返ってきた答えが「調和であり、バランスだ」だったといいます。
取材で「日本のベンチマークはどこか」と聞かれると、イアンさんは必ずサントリーだと答えるそうです。
そのブレンドの技術を、心から尊敬していると。
イアンさんは、ウイスキー造りは「芸術(アート)と科学(サイエンス)の組み合わせ」であり、その比率は半分ずつだと考えています。
科学的な知識でニューメイクの質を確保するだけでなく、異なる原酒が混ざり合ったときの味わいを想像する「イマジネーション」こそが、優れたブレンダーに不可欠であるという信念です。
ブレンダーをシェフに例え、「原酒のスペクトラム(raw spectrum)」と呼ばれる、さまざまな色やキャラクターを持つニューメイクを組み合わせることで、最終的な一杯という「芸術」を作り上げていく。
小諸のウイスキーを通じて表現しようとしているのは、「芸術的な概念(Artistic Conception)」。「森林に囲まれているような感覚」や「移ろいゆく季節」を感じさせるという、極めて情緒的な体験です。
人の育て方 ──「経験はなくてもいい」
7月4日、イアンさんは若いブレンダーを2名連れて、広島まで来てくださいました。
驚いたのは、2人とも他の蒸留所からの引き抜きではなく、新卒だったことです。
イアンさんは、他の造り手からスタッフを引き抜くことをしません。
ゼロから始める新卒を、自分の手で育てます。
イアンさん自身も、未経験からジム・スワン博士のもとで学び、カバランを世界一まで押し上げた人です。
「経験はなくてもいい。いちばん大事なのは、パッションです」
小諸の冬は、マイナス10度になります。
その寒さのなか、朝4時に起きて蒸留所へ向かう。
それができるのは、パッションがあるからだと。
では、面接でそのパッションをどう見抜くのか。
イアンさんの答えは、シンプルでした。
「第六感(シックスセンス)ですよ」
人と話すと、その人がどんな人柄か、直感が教えてくれる。そして今のところ、その直感は一度も外れたことがないそうです。
その一人が、澁谷さんです。
もともと魚類免疫学の博士で、ウイスキーとは縁のない世界から来た人でした。
イアンさんはオンライン面接の画面越しに「この人は、とても良い次世代になれる」という直感を抱いたといいます。
そして来日後、カバランの時とまったく同じノージングテストを課しました。澁谷さんは、合格しました。
継承 ──「木を植える」ということ
イアンさんの話には、いつも「誰かから受け取って、誰かへ渡す」という一本の線が通っていました。
「ウイスキーは、木を育てるのと同じです。木を育てると決めるのは、次の世代のため。木が大きく育てば、人はその木陰を楽しめる。私たちが今していることは、未来の世代が楽しむためのものなんです」
それを裏づける出来事がありました。島岡氏と一緒にグレンファークラスを訪れたとき、ブレンダーが70年もののウイスキーを試させてくれたのだそうです。
「私は、小諸の70年ものを見届けることはできない。医療がどれだけ進歩しても、無理でしょう。だからそれは、未来の世代が楽しむためのものなんです」
70年も前に、まだ見ぬ次の世代のために仕込んでくれた人がいて、いま、この時代の私たちがそれを味わえている。70年前に植えられた木の、その木陰に、私たちは座っている。
小諸蒸留所は、3年・5年・8年・10年と重ね、12年から熟成年数を表記していく計画だそうです。
その先に見据えているのは、30年。
蒸留を始めたのが2023年ですから、30年ものが完成する頃、イアンさんは78歳になっています。
カバラン時代の熟成は、平均で3〜8年ほどだったといいます。
だからこそ小諸では、腰を据えて長い熟成に挑んでいる。
「小諸は、私たちのトップガン・スクールなんです」
ここでオペレーターやブレンダーを育て、彼らがやがて新しい蒸留所で教える側になっていく。
イアンさんは、島岡氏に会ったときこう伝えたそうです。
「ジム・スワン博士のノウハウを、未来のウイスキー造りの人たちに伝えるべきだ」
継承とは、知識を渡すことであると同時に、渡せる相手を見つけることでもある。 そう教わりました。
小諸蒸留所の現在地と、これから
ファーストリリースは、2026年11月7日発売です。
テイスティング会で味わわせていただいたノンピーテッドのニューボーンは、熟成2年未満でありながら、しっかりとした琥珀色をしていました。
イアンさんはこれを「スプリング・ニューボーン」と呼んでいます。
軽井沢・小諸エリアの、今年の春を祝う名前です。
「日本でも、ゼロからスコッチに引けを取らないウイスキーが造れる」
KDIの構想は、小諸だけにとどまりません。
- 富良野プロジェクト|北海道・富良野で、西武グループとの共同開発による第2蒸留所「Furaliss」が動き始めています。ポットスチルは8基。一つの蒸留所から3つの異なるスタイルを生み出す構想で、生産量は小諸の4倍近くになるといいます
- 第3蒸留所|南部に構想中
- 国内第3位へ|これらが稼働すれば、KDIは国内第3位の生産者に躍進する計画です
- 世界市場|シンガポールに物流拠点を構える構想を含め、最初から世界市場を見据えた体制が整えられています
- ツーリズム|東京から新幹線で60分という立地
創業者・島岡高志氏は、KDIを「ジャパニーズウイスキーのパワーハウス」にすると公言しています。
イアンさんご自身は、こうおっしゃっていました。
「私たちは、ジャパニーズ・シングルモルトを造っている。この業界の一員として、仲間をつくっていきたい」
台湾から来た自分だからこそ、日本のウイスキー業界の一部になることを、とても大切にしている。
ほかの蒸留所と関係を深め、語り合い、刺激を交わしながら、この業界に貢献していきたい、と。
私が会った、イアン・チャン
私がイアンさんに初めてお会いしたのは、2026年3月の小諸ウイスキーフェスティバルでした。
イアンさんのセミナーはチケット完売で、私が買えたのは「3蒸留所クロストーク」の一番後ろの席です。
ただの一観客でした。
そこで出された小諸のルビーポート樽の原酒に、衝撃を受けました。
加水されているのに、ニューポッティな荒々しさがまるでない。
蒸留開始から3年も経っていないのに、です。この人は天才だと思いました。
そしてもうひとつ、強く感じたことがありました。
これほど世界的に著名な方であるにもかかわらず、隣の蒸留家たちへの敬意も、聞いている人たちへの敬意も、一切崩されないのです。
「ルーツを辿らないと」 と思い、すぐに台湾行きのチケットを取りました。カバラン蒸留所を、自分の目で見るためです。
その準備が淡々と進んでいた頃、一通のメールが届きました。イアンさん側から、「リトルハピネスで、テイスティング会をさせてもらいませんか?」と。
最初に思ったのは「ドッキリかな」でした。
客席のひとりにすぎなかった私に、なぜ。
きっかけは、私が書いたブログだったそうです。
このページに書いた「はじまり」の話の多くは、テイスティング会の前に、広島でご一緒したランチで伺ったものです。
段取りの打ち合わせのはずが、気づけば私は、イアンさんの人生の話を聞きまくっていました。
日本語のインタビューには、ほとんど載っていない話ばかりでした。
そして2026年7月4日、11席限定のテイスティング会が実現しました。その夜のことは、全4話で書いています。
イアンさんは、深く自己一致した人だと感じました。
やりたいことと、やっていること。信じている価値と、日々の暮らし。
志と、仕事。そのどこにも、ズレやごまかしや無理がない。
矛盾を抱えていないから、力みがないのだと思います。
造り手の在りようは、必ずそのままウイスキーの中に映ります。
小諸蒸留所のウイスキーは、調和した、美しいものになる。私は、そう確信しています。
もっと詳しく ── 関連記事
テイスティング会シリーズ(全4話)
- 第1話:ウイスキーは、人と人をつなぐ言葉だった
- 第2話:小諸蒸留所のニューメイクと、50年かけて湧く水
- 第3話:クリスマスに焚く、優しいピートと熟成の哲学
- 第4話:カバランから日本へ──イアン・チャンさんの情熱と継承
イアン・チャンさんと小諸蒸留所を深掘りした記事
リトハピで飲めるもの
カバランは、ソリストシリーズを中心に揃えています。
それぞれの樽が違えば、味わいの方向性もまったく異なります。ぜひカウンターで飲み比べてみてください。
小諸蒸留所のウイスキーは、2026年11月7日のファーストリリース以降のご提供を予定しています。
入荷情報は公式LINEにてご案内します。
「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」
出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。
📍 Bar Little Happiness
広島市中区流川町5-14-1F
月〜土:19:00〜24:30 / 日:〜24:00(最終入店・約1時間前)
定休日:ほぼ年中無休
ご予約・お問い合わせは、公式LINEから🥃
この記事を書いた人
谷本 美香(Mika Tanimoto)/株式会社 Little.m 代表取締役・オーナーバーテンダー
広島県広島市で20年続くRum&Whisky専門店「Bar Little Happiness」店主。
2006年の創業以来、ウイスキーとラムの感動を伝える専門家として活動しています。
世界中の蒸留所を自ら訪問し、造り手と直接対話した一次情報を持つ、現場主義のバーテンダー。