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ジャパニーズラム「アコウラム」が生まれるまで。指宿・大山甚七商店を訪ねて

2026.9.23
指宿・宮ヶ浜駅の駅名標

ジャパニーズラム「アコウラム」が生まれるまで。指宿・大山甚七商店を訪ねて

鹿児島県指宿(いぶすき)市。宮ヶ浜。

ここで造られているジャパニーズラムが、大山甚七商店の「アコウラム(ACOU RUM)」です。

その名前の由来になったのは、この土地に昔からある大きなアコウの木。

指宿市宮ヶ浜の大山甚七商店の近くに立つ、アコウラムの名前の由来になった大きなアコウの木を見上げたところ

温泉地として知られる指宿で、焼酎を造り続けてきた大山甚七商店が、なぜジャパニーズラムを造ることになったのか。

今回、大山甚七商店の大山社長に、アコウラムが生まれた経緯についてお話を伺いました。

話を聞いていくと、その始まりには、指宿で生まれ育った大山社長自身の歩いてきた道と、地元の人たちとの出逢いがありました。

焼酎蔵、大山甚七商店

大山甚七商店の創業は明治8年、1875年。

海のすぐそばにある宮ヶ浜で、大山家はもともと商いをしていました。

「指宿発祥の地」と書かれたJR宮ヶ浜駅の駅名標と駅舎

当時は琉球船が行き来する海の拠点のひとつだったそうで、布団に使う綿や洋服など、さまざまなものを扱っていました。

その傍らで焼酎も造っていたことから、今も会社名は「大山甚七商店」。

「○○酒造」ではなく、「商店」という名前が残っています。

スクリーンに映し出された、平成6年まで残っていた大山家の商家の古写真

以前ここに建っていた大きな家は、平成6年まで残っていました。

その家には、隠し部屋のような空間まであったそうです。

昔の商家の姿が、今の蔵の名前にも、この土地にも残っています。

「大山甚七様」と宛名の書かれた、大山家に残る古い封書とはがき

ただ、大山甚七商店には、一度焼酎造りが止まった時期がありました。

平成元年、古くなった蔵を建て替えるために大きな借金をしました。

大山社長によると、ちょうどその頃、酒販免許の規制緩和があり、コンビニやスーパーなどでもお酒が買えるようになっていったそうです。

焼酎の販売も価格競争の波に入っていきました。

そして平成6年、焼酎造りを休業。

そこから約10年、造らない時期が続きます。

その後、焼酎ブームが起こり、父と、休業中もただ一人残ってくれた工場長の二人で、焼酎造りを再開しました。

このとき、大山社長は16歳でした。

大山社長は、

「もし焼酎ブームが5年後だったら、たぶん行っていなかったと思う」

と話されていました。

16歳という進路を決める時期に、ちょうど家の焼酎造りが復活した。

その出来事が、大山社長を酒造りの道へ向かわせるきっかけになったそうです。

ラムの銅製蒸留器が置かれた、もとは車庫だった建物の前に立つ大山社長

東京農業大学、そして酒類商社へ

大山社長は1988年生まれ。

18歳まで指宿で過ごし、その後、東京農業大学へ進学します。

大学では発酵や微生物について学びました。

そして卒業後に入ったのが、東京の業務用酒類販売を行う商社です。

約6年間、今度は「酒を売る側」を経験しました。

「造る」ことと「売る」こと。

その両方を経験して、2017年に指宿へ戻ってきました。

発酵や微生物について学んだ経験。

そして、酒がどのように流通し、どんな人に届いていくのかを知る、酒類商社での経験。

その両方を持って、家業の酒蔵に戻ってきたのです。

「指宿で、何ができるんだろう?」

指宿に戻ってから、大山社長は地域のいろいろな人に会うようになりました。

鰹節を作っている人。

畜産をしている人。

昔から続いているものづくりをしている人。

自然農法でハーブを育て、蒸留している人。

地元で生まれ育った大山社長自身も、改めて人に会って話を聞くことで、「こんなものが指宿にあったんだ」と知ることが増えていったそうです。

スクリーンに映し出された、ハーブガーデン指宿の地元の造り手の写真

約80年にわたって続いているものづくりもありました。

500kgほどの葉から採れる精油は、わずか5Lほど。

それでも、その土地でしかできないものを作り続けている。

そんな人たちと出会う中で、少しずつ、

「指宿で、何ができるんだろう」

と考えるようになったそうです。

そして、地域を回る中で出会ったのが、サトウキビを育てている人たちでした。

サトウキビから、ジャパニーズラムへ

その農家さんたちは、指宿で30年ほど、農薬などを使わない自然農法でサトウキビを育てていました。

畑の中には小さな工房があります。

そこでサトウキビを搾り、搾ったらすぐに釜に入れて水分を飛ばし、黒糖を作っています。

そこで出てくるのが、糖蜜です。

黒糖を作る過程で生まれる糖蜜は、なかなか行き先がありませんでした。

溜まっていく糖蜜を見て、大山社長は、

「これを、我々の発酵と蒸留で何かできないかな」

と考えます。

温暖な指宿で、自分たちが持っている発酵と蒸留の技術を使って。

そこから、ラム造りが始まりました。

農家さんからは、

「活用してくれるんだったら、全部タダであげますよ」

という話もあったそうです。

でも、大山社長はそれをそのまま受け取るのではなく、糖蜜を全量買うことにしました。

「タダ」では続かない。

作る人がいて、原料を作る人がいて、その関係が続いていく。

そのためには、きちんと買うことが必要だと考えたからです。

ただ、その糖蜜だけでは酒造りを続けていくには量が足りません。

そこで鹿児島県産の黒糖も使いながら、ジャパニーズラム造りが形になっていきました。

「アコウラム」という名前

そして、もうひとつ、この土地とのつながりを感じるのが「アコウ」という名前です。

蔵からすぐのところに、大きなアコウの木があります。

大山甚七商店の蔵のすぐそばに立つ、長い年月を経たアコウの木の太い幹

長い年月、この土地に立ってきた木です。

大山社長にとっては、子どもの頃から身近にあった存在。

けれど、地元の子どもたちの中には、この木を知らない人もいたそうです。

そこで、その土地にある木の名前をラムに付けました。

「アコウラム」。

地元の人にとっては、昔からそこにある木。

でも、遠くから来た人にとっては、初めて出会うものかもしれない。

実際、昨年12月にはアコウラムを目がけてパリから訪れた方が、このアコウの木を見に来てくれたそうです。

酒をきっかけに、その土地にあるものを知ってもらう。

「アコウ」という名前には、そんな意味も込められています。

サトウキビ畑で、未来の話が始まった

大山社長から聞いた話で、もうひとつ印象に残ったことがあります。

サトウキビ畑で、農家さんたちと若い人たちが集まるようになったことです。

以前は、農家さんたちが集まると昔の話をすることが多かった。

それが、大山社長が若い人たちを連れてくるようになってから、

「これからどうやってサトウキビをつないでいくか」

「この土地で作ったものを、どうやって活用していくか」

そんな未来の話をするようになったそうです。

その話を聞いた大山社長自身が、

「ラムを造ってよかった」

と話されていました。

サトウキビから生まれたラムを通して、畑に新しい人たちが集まり、これからの未来について話すようになった。

アコウラムが生まれた背景には、そんな出来事もありました。

焼酎蔵で、ジャパニーズラムはどう造られているのか

ここまでが、アコウラムが生まれるまでの話です。

では、実際に大山甚七商店では、どんなふうにラムを造っているのか。

大山甚七商店には、焼酎蔵として積み重ねてきた発酵・蒸留の技術があります。

その技術を使いながら、ラムをどう造っているのか。

次回は、実際に蔵の中へ入って、アコウラムの製造について書いていきます。

→ [後編:造り手は5人。焼酎蔵が手仕事で生むジャパニーズラム「アコウラム」の製造現場へ]


ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる。

出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。


【谷本からの補足】 このアコウラムに関する記事は、実際に現地を訪問した体験を基に執筆していますが、一部谷本の個人的な考察や解釈が含まれています。 一人のラムLOVERの独り言としてお楽しみいただければ幸いです。

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ラムジャパニーズラム蒸溜所レポート

【この記事を書いた人】

谷本 美香(Mika Tanimoto)
株式会社Little.m 代表取締役/オーナーバーテンダー

広島・流川で2006年からウイスキーとラムの専門店「Bar Little Happiness」を営む。国内外の蒸溜所を訪ね、造り手の話をコラム「ウイスキーとラムの手帖」に綴っている。広島市優良技能者。

「ウイスキーもラムも、造り手の想いに触れたとき、もっと美味しくなる」

【お店の情報】📍 Bar Little Happiness

広島市中区流川町5-14 Rolling流川 1F
月〜土 19:00〜24:30/日 19:00〜24:00(店主が蒸溜所へ旅に出る日はお休み)
ノーチャージ・予約不要

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