1970年ヴィンテージ、クレマン一族の誇り
2026.2.19
数年前、マルティニークのクレマン蒸溜所に行きました。
その時の様子とともに、クレマンについてシェアします。
マルティニークといえば、ラム酒の聖地!!
奴隷解放の申し子、ホーマー・クレマンの「自立」
物語は1852年、奴隷制度廃止からわずか4年後のマルティニークから始まります。
創業者のホーマー・クレマンは、仕立て屋の息子であり、解放された奴隷を祖父に持つというルーツを持っていました。
彼はフランスのパリで医学を学んだエリートであり、帰国後は医師としてだけでなく、町長や市議会議員、さらには副議員も務めるなど、島の政治的リーダーとして奔走しました。
そんな彼が1887年、破産状態にあった「アカジュー農園」を、オークションで買い取ったこと。
これが、後に世界を魅了するラム・クレマンの原点となりました。


戦火の中で生まれた「ビジネスの嗅覚」
当初はサトウキビ栽培のみを行っていたホーマー・クレマンですが、転機は1917年の第一次世界大戦中に訪れます。
フランス本土でのアルコール需要の急増を察知した彼は、古い製糖工場の跡地に蒸留所を建設し、ラム製造へと舵を切ったのです。
この「時代を読む力」がなければ、今のクレマンは存在しなかったかもしれません。


息子シャルルによる「ブランドの確立」と1970年の背景
1923年にホーマー・クレマンが亡くなった後、跡を継いだ息子シャルル・クレマンは、才能豊かなエンジニアであり実業家でもありました。
彼は生産設備を徹底的に近代化し、1931年には当初「アカジュー」という名で販売を開始します。
その後、1940年にブランド名を「ラム・クレマン」へと改名しました。

1970年ヴィンテージという「時代の分岐点」
ここで、私が購入してきたクレマン1970年ヴィンテージの話に戻ります。
このラムが蒸留された1970年は、中興の祖であるシャルル・クレマンが亡くなる(1973年)わずか3年前。
つまり、クレマン家が最も情熱を注ぎ、自社蒸留所でその技術を完成させていた黄金期のラストピースの一つです。

その後、1980年代に一族は財政難や家族間の問題に直面し、経営権を手放すことになります。
1988年には蒸留所自体も閉鎖されたため、1970年のボトルには、当時の空気感、職人たちの誇り、そして「ハイオット家以前」の純粋なクレマン家のDNAが色濃く刻まれています。
次回は、クレマンが現在、どのようにしてあの巨大なハイオット家によって守られ、エンターテインメントへと進化したのか。現地で私が目撃したクレマンについて語ります!
出逢いは必然。
Rum&Whiskyの世界へようこそ。
【谷本からの補足】 このクレマン蒸溜所に関する記事は、実際に現地を訪問した体験を基に執筆していますが、一部谷本の個人的な考察や解釈が含まれています。 一人のラムLOVERの独り言としてお楽しみいただければ幸いです。
Definitely very recommended, I hope to be able to come back here in a future Japan trip! Thank you so much, cheers from Italy!