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照らしすぎない光が、守ってくれることがある

2025.5.06

リトハピの照明は、少し暗めだと思います。
でもそれは、“照らさない”ための暗さではなくて──

“照らしすぎない”ために選んだ明るさです。

会話のテンポを焦らせないように、
視界の隅がふわっと溶けていくくらいの照度にしています。

グラスの中のウイスキーが、少しだけ艶っぽく見える光。
肌がふわっと綺麗に見えて、
酔って顔色が変わっても、それを気にしなくて済むようなやわらかさ。

ひとりでいても、誰かといても、
“自分の輪郭が少しぼやけるくらいの光”って、
心にとってもちょうどいいのかもしれません。

テーブルの上には、蝋燭をひとつ。
火があると、自然と声が少しだけ落ち着くんです。

その小さな光のまわりだけが、
自分たちの“島”のように感じられる。

周囲との境界をやわらかく保ったまま、
目の前の人との空気だけが、ふわっと深まっていく感覚。

そして、対照的に──
お手洗いの照明は、しっかり明るくしています。

少し背筋が伸びるような明るさで、
自分の顔色がちゃんと見えるように。
照らすべきところでは、きちんと照らす。

そういう「スイッチの切り替え」ができる空間にしたかったんです。

言葉をかけすぎなくても、
空間が代わりに伝えてくれることがある。

「大丈夫ですよ」とか、
「そのままでいいですよ」とか。

今も、この光がそっと、その役目を果たし続けているように思います。


この設計の背景や、他の空間についても、こちらで綴っています。
▶︎ 特集|空間に込めた、静かな哲学