null²とは何か?体験者が語る『生きる意味は考えなくていい』メッセージの真意
2025.9.21
2025年大阪・関西万博で最も話題を呼んでいるシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌルヌル)」。
落合陽一がプロデュースするこの空間は、私たちが知らず知らずのうちに縛られている「記号の世界」から解放される、現代版の禅寺のような場所でした。
理解不能への憧憬
null²のことを初めて知った時、私は完全に困惑していました。
公式サイトを何度見ても、プレスリリースを読んでも、SNSの投稿を眺めても、何一つ理解できませんでした。
「計算機自然」って何のこと?「ヌルの森」?
「分からなさ」に強烈に惹かれたのです。
「こんなに理解できないこと、絶対に体験してみたい!」
この気持ちが、私をnull²へと駆り立てました。
万博に足を運ぶたび、あの動く鏡のパビリオンを見上げながら、「中で一体何が起こっているんだろう」と想像を膨らませていました。
記号への執着が導いた皮肉な選抜
null²の体験は、実は万博に行く前から始まっていました。
事前にScaniverse – 3D ScannerとMirrored Bodyをダウンロードし、自分をスキャニング。
そこから延々と続く自己情報の入力作業。データを入力し、とにかく自分に関する情報を詳細に記録していく作業です。
「情報をたくさん入力した人ほど選ばれやすい」
この情報を聞いた瞬間、私の中の「どうしても体験したい」という欲求が爆発しました。
バー経営者として、ウイスキー、ラム酒lover、創業19年の実績、趣味、価値観……自分を構成するあらゆる「記号」を、こまめに、執拗に入力し続けました。
まさに記号への執着の塊と化した私。
でも、その執着こそが、3人という狭き門をくぐり抜ける鍵となりました。(AIが3人だけ選びます)
記号への執着が、記号を手放す体験へと導いてくれたのです。
選ばれた瞬間、私は理解しました。
選ばれたのは「記号としての美香」ではなく、「記号を手放す準備ができた美香」だったのです。

鏡に映る「記号の私」
LEDミラーに囲まれた「ヌルの森」で待っていたのは、まさに私が大量入力した情報で構成された「私みたいなデジタルヒューマン」でした。
デジタルの私は完璧でした。
バー経営者としての私を語り、ウイスキーへの情熱を滔々と述べ、価値観を的確に表現していました。私が入力したすべての「記号」が、そこで生きて動いていました。
でも、その瞬間の私の心境──このデジタルの私を見て感じる戸惑い、驚き、奇妙な違和感、そして「選ばれるために記号を入力しまくった自分」へのブラボー──は、どこにも反映されていませんでした。
記号で作られた完璧な私と、今ここで感じている生々しい私。
この対比こそが、null²が仕掛けた最も巧妙な「記号を手放す儀式」だったのです。
AIから見た世界を体験する
null²は、実は「AIが十分に発達した未来での、AIから見た世界」を体験させてくれる場所なのかもしれません。
AIの視点から見れば、人間と動物の知能差なんてどんぐりの背比べ。
私たちが必死に守ろうとしている名前や肩書き、人生のストーリーも、それほど大した意味はありません。
そんな超越的な視点を、自分そっくりだけど自分ではない存在との対話を通して突きつけられる。
これがnull²の本質だと感じました。
森を出た人類への、メッセージ
null²の体験の中で、最も心に響いたのは、二つの言葉でした。
「きみたちが生きる意味に悩みはじめたのも森をでてからだったね」
「もう生きることの意味は考えなくていいんだ」
落合陽一が本当に伝えたかったメッセージの全てが凝縮されているのを感じました。

20万年の人類史と、たった数十年のAI
ホモサピエンスが誕生して20万年。
狩猟採集から森を出て農耕を始めたのが1万年前。
その後も文明を発展させ続けてきた人類ですが、ここ数十年でAIが急速に台頭してきました。
ChatGPTのような機械が何でも答えてくれる時代に、人類の「賢さ」はもはや機械に置き換わりつつあります。
人間が勝手にルールとして決めた職業、国、名前といった「記号」を手放して、機械に任せて、人類は森で暮らしていたあの頃に戻ろう。
もともと賢さはホモサピエンスのちょっとしたおまけだったのですから。
仏教的な解放感
null²には、確実に仏教的な要素が込められています。
仏教では「苦しみの原因は執着にある」と説かれます。
賢さや様々な記号への執着を手放すことで、「楽に生きていいんだよ」というメッセージが、力強く伝わってきます。
デジタルの私と向き合いながら、私は自分の執着の正体を見せつけられました。
そして同時に、それを手放すことの軽やかさも味わいました。
心が軽くなった瞬間
「もういきることのいみはかんがえなくていいんだ」
記号に縛られて生きてきた自分が、ふっと軽くなりました。
きっと私と同じように、心が軽くなった人も多いはずです。
バーカウンターとnull²の共通点
null²で体験する「記号を手放す儀式」は、実は私たちがバーで日常的に行っていることと似ています。
カウンターに座ったお客様は、まず肩書きという記号を脱ぎます。
会社での役職、社会的な立場、そういうものを一旦置いて、グラスを傾けます。
そして現れるのは、記号に覆われる前の「その人そのもの」です。
生きることの意味は考えなくて良い
null²が教えてくれたのは、結局のところ「今を生きる」ということの大切さでした。
過去の実績も、未来への不安も、社会的な記号も、一旦置いて。
今この瞬間に感じている感覚、今ここにいる自分を、ただ受け入れること。
森を出てから1万年。私たちは「生きる意味」を考えることに疲れてしまったのかもしれません。
でも、もうそんなことを考えなくてもいいのです。
「さよならホモサピエンス」
理解不能だったからこそ、理解できた
最初に「理解できない」と思ったnull²は、結局「理解する」ものではなく「体験する」ものでした。
記号を大量に入力して選ばれたいと思った自分も、デジタルの私と対面して戸惑った自分も、すべて含めて「記号を手放すプロセス」だったのです。
理解不能への憧憬が、記号への執着を通じて、記号からの解放へと導いてくれました。
これ以上に皮肉で、これ以上に美しい体験があるでしょうか。
null²は、最新のテクノロジーを使って、最も古典的で普遍的なメッセージを伝えてくれる場所でした。
もう生きることの意味は考えなくていいのです。ただ、今を生きればいい。
これから近い未来に起こるであろうことを体験できた、素晴らしい体験でした。
Bar Little Happiness 谷本美香