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[万博レポート] いのちの動的平衡館で見つめ直した「死」というもの

2025.10.03


死もまた利他である

最後の関西万博に行ってきました。

私の死生観を揺さぶり、変えてくれた体験をまとめます。

体験した順番は、いのちの未来 → Null² → いのちの動的平衡。

たまたま予約が取れた順番で体験しただけですが、偶然の流れに見えて、必然だったのかもしれません。

いのちの未来の記事はこちら

Null²の記事はこちら

動的平衡が示す新しい死生観

福岡伸一さんプロデュースの「いのち動的平衡館」で、私はまったく新しい死の考え方に出会いました。

光の粒子で描かれる38億年の生命の歴史の中で。

エントロピーに抗う生命

この宇宙には、あらゆるものが壊れ、崩れていく「エントロピー増大の法則」があります。

でも生命は生きている間、秩序やバランスを保っているように見えるのです。

私は長い間こう思っていました。

「どうせ死ぬのに、なぜ生まれてきたのだろう」と。

死が怖いわけではない。ただ、いずれ消えるものに、なぜこれほどまで力を注ぐのか――。

輪っかが坂を登り返す比喩

最も印象に残ったのは、福岡さんの輪っかの比喩です。

坂を転がり落ちる輪の一部を壊し続け、もう一方を作り続けます。合成よりも分解をほんの少しだけ多くすると、その輪っかは下るはずの坂を登り返していく。これが動的平衡の状態です。

やがて分解が優り、輪は短くなり、消えてしまう。

それは、生命が必ず死を迎えることを意味していました。

死の必然性と利他性

私は今まで「利他」を、誰かのために意識して行う行為だと思っていました。

いのちの動的平衡館では、違うメッセージを提唱されていました。

生きること自体が利他であり、死ぬこと自体もまた利他である。

それは努力や意図ではなく、生命38億年のシステムに組み込まれている結果。

輪っかが「登ろう」と意図せずとも登り返すように、私たちも存在するだけで全体に貢献している。

最後に訪れる死でさえも、生命の流れの中で次へと繋がっていく。

「なぜ生まれてきたのか」の答え

どうせ死ぬのに、なぜ生まれてきたのか。

その問いの答えはこうでした。

生まれること自体が、生きること自体が、死ぬこと自体が、38億年の生命の流れへの参加だった。

死は生の終わりではなく、生の完成。

それは重くのしかかっていた問いを、軽やかにしてくれました。

38億年続く流れの一部であること自体に、すでに深い意味があった!

三つの体験が紡いだ答え

いのちの未来

Null²

いのちの動的平衡で、死さえも利他であることが、ストンと腑に落ちました。

AIが記号を操作し、あらゆるものがデジタル化されていく時代。

人間の進化よりAIの進化の方が早い。

だからこそ、この大きな渦の中での「いのち」の捉え方が問われているように感じます。

いろんな常識や記号に縛られて生きてしまう賢さというおまけを身につけてしまった人間。

でも、それはホモサピエンスの歴史の中では、ほんの一瞬のこと。

その向こうに見えてきた、存在すること、生きること、そして死ぬことの、何にも代えがたい美しさ。

だからこそ、今夜もBar Little Happinessのカウンターで、お客様との一瞬一瞬を大切にしたいと思います。

記録に残らないかもしれないその時間が、誰かの人生の流れの中で小さく輝くことを信じて。

今この瞬間が、儚いからこそ、尊く、美しい。


出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。

Bar Little Happiness 谷本美香