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【ウイスキー深掘り】世界を獲った「山崎」と、広島の驚くべき関係。琥珀色に流れる竹原のDNA

2025.11.20

世界が認めた「山崎」── 3年連続、世界の頂点へ

2023年、「山崎25年」。

2024年、「山崎12年」。

そして2025年、「山崎18年」。

世界的な酒類品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」において、山崎ブランドが成し遂げた快挙をご存知でしょうか?

それは、全部門を通じて最も優れた1本にしか与えられない最高賞「シュプリーム チャンピオン スピリット」を、3年連続で受賞するという偉業です。

同一ブランドが3年連続で世界の頂点に立つ。

これはISC史上初めてのことでした。

スコットランドでもアイルランドでもなく、日本の「山崎」が、世界一の称号を不動のものにしたのです。

しかし、この栄光の原点に、広島の血が流れていることを、あなたは知っていますか?

日本ウイスキーの父は、広島・竹原の男だった

竹鶴政孝。

日本のウイスキーファンなら知らぬ者はいない、伝説の男です。

1894年、彼は広島県竹原市にある造り酒屋「竹鶴酒造」の三男として生を受けました。

幼少期から酒蔵を遊び場とし、日本酒造りの現場で職人たちの背中を見て育った少年。

やがて洋酒会社へ就職した彼は、「本物のウイスキーを日本で造りたい」という悲願を胸に、単身スコットランドへ渡ります。

異国の地で実習を重ね、ウイスキー造りの全てを記した「竹鶴ノート」を携えて帰国した1923年。

彼はサントリー創業者・鳥井信治郎氏に招かれ、山崎蒸溜所の初代工場長に就任しました。

蒸溜所の建設、ポットスチルの設計、製造工程の指揮。

そのすべてを一手に担ったのが、広島・竹原出身の竹鶴政孝だったのです。

1924年の山崎蒸溜所竣工、そして1929年の日本初の本格ウイスキー「サントリー白札」の発売。

現在の「世界のYAMAZAKI」の礎は、確かに広島の男の手によって築かれました。

私の原点もまた、「山崎」だった

私自身にとっても、山崎は特別な場所です。

初めて訪れた蒸溜所こそが、この山崎でした。

あれは19年ほど前のこと。

「本でしか見たことのない製造現場を、この目で見てみたい」。そんな純粋な好奇心から京都への旅を決めました。

ポットスチルの銅色の輝き。

発酵槽から立ち上る、甘くふくよかな香り。

そして、何千もの樽が眠る貯蔵庫のひんやりとした空気。

五感で感じたその全てが、私にとって「ウイスキーの世界への扉」でした。

それから時を経て、スタッフと、あるいはお客様と共に、何度も何度も山崎を訪れました。

訪れるたびに新しい発見があり、深みが増していく。

私のウイスキー人生の原点は、間違いなくあそこにあります。

(最近は、見学の予約すらとれないので幻のような蒸溜所になりました)

広島の技術が、日本ウイスキーを作った

山崎の始まりが、故郷・広島と深く結びついているということ。

それは偶然ではなく、必然だったのではないかということ。

竹鶴政孝の実家「竹鶴酒造」は、今も竹原で日本酒を造り続けています。

広島は古くから、竹原や西条に代表される「酒処」。

軟水を活かした繊細な醸造技術が脈々と受け継がれてきた土地です。

竹鶴が幼少期から肌で感じてきた「発酵」「蒸溜」「熟成」への敬意と哲学。

日本酒造りで培われたその魂(スピリッツ)が、スコットランドでの経験と融合し、やがて山崎の地で花開いた。

つまり、日本ウイスキーの成功の裏には、広島の酒造りのDNAが確かに息づいているのです。

リトハピで、山崎を。広島の誇りと共に

世界一に輝いた「山崎」。

Bar Little Happinessでは、そのラインナップを豊富に取り揃えています。

グラスに注がれた琥珀色の液体を眺めるとき、少しだけ想像してみてください。

遠く離れたスコットランドの地と、ここ広島の風景を。

広島で、山崎を飲む🥃

それは単に美味しいウイスキーを味わうだけでなく、竹鶴政孝が歩んだ情熱の道を辿る旅なのかもしれません。

出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。

Bar Little Happiness 谷本美香