未来は、人に還る。
2025.7.04
関西万博に行ってまいりました。
会場で感じたことをシェアします。
スマートフォンひとつで、すべてが完結する世界。
チケットも、予約も、マップも、言語も、支払いも──
世界中の人と、デジタルでシームレスにつながる設計。
テクノロジーで、世界中とつながることが「当たり前」の世界が、そこにありました。
それでも、不思議と無機質さは感じませんでした。
まるで目の前で語りかけられているような展示、
誰かの人生に寄り添うような映像、
そこに人がいると感じられる演出が、いたるところにありました。
言葉ではなく、感覚に訴えかけてくるものばかりで、
文化の違いを超えて、「人」に響く体験でした。
技術が進めば進むほど、
人にしかできないことが、際立っていく。
そして、人の技術は、人の感性をさらに研ぎ澄ませて行くのだろうと思います。
住友館の最後の、撮影も録画も禁止されたエリアでは、
美しいデジタル映像の中心で、生身の人が踊っていました。
まるで、その人の存在そのものが、テクノロジーによって拡張されているように感じられました。
万博会場の帰り道、整列して手を振ってくれるスタッフの笑顔には、「ここだけはデジタルにしない」と決めた「おもてなし」の意志を感じました。
道中で出会ったスタッフのさりげない案内や気遣いも、すべてが自然で、あたたかく感じられました。
この場所で見た「未来」は、人がやるべきことに注力できる効率化された空間と、優しさと直感が尊重される、あたたかい未来でした。
私は、もう何年も前から、ひとつの問いを考え続けています。
──Barという仕事は、いつかテクノロジーに置き換えられてしまうのではないか?
人の話を聞くということさえ、
AIやデジタルの方が上手なのかもしれません。
的確な相槌、膨大な記憶、疲れを知らない応対──
すでに一部の領域では、人間を超えていると感じることさえあります。
それでもなお、私は思うのです。
「なぜ、この場所なのか」
「なぜ、この人なのか」
その問いに明確に答えられる場だけが、これからも残っていくのだと。
もともと、それはビジネスとして当然のことでした。
選ばれる理由が曖昧な店は、いずれ淘汰される──それは、今も昔も変わらぬ原則です。
けれど時代は、確実に変わりました。
テクノロジーの進化により、注文も接客も情報提供も、人の手を離れつつあります。
人でなくても成立することが、現実に増えている。
だからこそ、これからの時代に残るのは、
「その場所でなければならない理由」が明確にある店です。
丁寧な接客や美味しいお酒だけでは、もう十分ではないのかもしれません。
それらはすでに前提であり、もはや差別化にはなりません。
関西万博で目の当たりにした、テクノロジーと人の融合。
未来に残るのは、きっと「在り方」そのものなのだと感じました。
最後に、会場で撮影した映像を少しだけシェアいたします。