カリラ(Caol Ila)深掘りシリーズ Vol.2
2025.11.28
【再生】海峡の女王に刻まれた、数奇な創業と試練の歴史
カリラ(Caol lla)深掘りシリーズVol. 1はこちら。
現在の安定した美しい姿とは裏腹に、カリラの歴史は激しい所有者の交代と幾度もの閉鎖の危機に彩られています。
カリラの歴史は、アイラ島という過酷な環境での、波乱に満ちたサバイバルストーリーです。
1846年、海峡に響いた産声
カリラ蒸溜所が創設されたのは1846年。
創業者であるヘクター・ヘンダーソンは、このアイラ海峡を見下ろす隔離された場所に、ウイスキーづくりの可能性を見出しました。
しかし、蒸溜所が設立された当初、カリラは海峡の断崖の足元に位置し、大量の原料や製品の輸送は、ほぼ全て桟橋からの海路に頼る必要がありました。
この隔絶された立地はロマンティックである反面、物流のコストや天候リスクを伴い、初期の経営の不安定さに・・・。
創業者のヘンダーソンがわずか数年で経営権を手放さざるを得なかった背景には、隔離された場所での操業に必要な莫大な初期資本と、常に船の輸送を天候に委ねるというリスクが大きく影響していました。
その後もカリラは19世紀を通じて次々とオーナーを変えながらも、その都度、事業の拡大や近代化が図られてきました。
特に、ブレンダーの手に渡った際には、自社ブレンドの需要に応えるために生産能力が増強され、カリラの規模が拡大していきました。
創業期の不安定さはあったものの、この着実な進化こそが、カリラをアイラ島最大級の蒸溜所へと成長させる土台となりました。


(2008年頃、アイラ島の海辺にて)
20世紀の嵐:閉鎖の連続と試練
カリラにとって最大の試練は、20世紀に訪れます。
- 第一次世界大戦による休止: 1910年代に入ると、戦時中の資源不足により操業が停止しました
- 長期にわたる沈黙: 終戦後に再開するものの、世界的な大恐慌とウイスキー不況により、1930年代から第二次世界大戦終結後の1945年まで、実に10年以上にわたり蒸溜を停止するという、長期間の閉鎖を余儀なくされました。
この長期間の閉鎖を決定したのは、当時オーナーであったディアジオの前身にあたる巨大企業グループでした。
世界的な不況の中で、その巨大な組織の戦略的な判断として操業停止が命じられたのです。
このように、カリラは創業期から20世紀半ばにかけて、安定操業ができない時代を経験しています。これは、絶大な信頼を誇る現在の姿からは想像もつかない、まさに数奇な運命でした。
(ちなみに、現在のウイスキー業界も、近年のウイスキーバブルで在庫が溢れ、次第に生産調整や停止が始まっています。この現代の試練についてはまた別のブログで深く掘り下げます。)


(2008年頃アイラ島にて。そこら中にポットスチルが野晒しになっていました)
徹底的な解体と、現代のカリラへの進化
しかし、カリラはこの困難な時代を乗り越え、1970年代にその運命を変える、大規模な再建を迎えます。
1972年、旧蒸溜所は完全に解体され、現代的な施設として大規模に建て替えられています。
この徹底的な再生を経て、カリラは現在の大規模で、合理的かつクリーンな最新鋭の蒸溜所へと生まれ変わりました。
そして、この進化は止まりません。
1972年以降もカリラは常に未来を見据え、近年(2022年頃)には、ディアジオによる大規模なビジターセンターが新設されるなど、継続的な投資と改修が行われています。
私が2008年頃に見て、心を動かされた「清掃が行き届いた、ピカピカに光るポットスチル」の姿は、この歴史的な旧施設の解体と、それを受け入れた徹底的な再生の意思の証だったのです。
創業以来の不安定な時代を経て、カリラは、世界中のブレンデッドウイスキーの基幹を担う「信頼性の象徴」として現代に蘇えりました。
【次なる物語を見逃さないために】
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カリラの物語 Vol. 3でお会いできるのを楽しみにしています!
出逢いは必然。Rum&Whiskyの世界へようこそ。
Bar Little Happiness 谷本美香
Definitely very recommended, I hope to be able to come back here in a future Japan trip! Thank you so much, cheers from Italy!